林外務大臣は何故いかなかったのか
では林外務大臣は何故G20に行かなかったのでしょうか。
外交権は、内閣にしかなく、また国会に関しても、議事運営委員会などでその審議順序を調整することが可能なはずです。
しかし、そのような調整を一切しないで「外交をしなかった」というのは、「国会を言い訳にした」ということでしかなく、「G20に行きたくはない、隠さなければならない真の理由があった」ということになります。
ではその「真の理由」とは一体何でしょうか。
もちろん、そのことを内閣は公式に表明していませんが、取材をもとに見てみましょう。
まず林外務大臣は、長く日中議連の会長を務めるなど、親中派の議員として知られています。
これは、山口県における安倍家(または岸家)と、林家の長年のいきさつによるものがあるのですが、ここではそれは割愛しましょう。
林外務大臣は、外務大臣に就任するときに「特定の国との関係が親密であるということは良くない」と、様々なところからの批判を受ける形で日中議連の会長を辞任しています。
しかし、辞任したからといって、中国などとの関係が中立的になったのかといえばそれは「NO」でしょう。
逆に、議連の会長を辞任したことによって「かえって自由に中国に有利な動きをすることができる」ということになります。ある意味で「目くらましをして外交をすることができる」ということになります。
しかし、今回のの問題は、「ロシアのウクライナ侵攻」であり、同時に、そのロシアに対して武器を供与している中国に対する批判になります。
普段、中国と仲良くやっている林外務大臣が、中国との関係を悪化させて、その内容の決議に加わるということは、外務大臣としては国を代表しているから当然のことながら、林外務大臣本人の政治信条とは異なるということになります。
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