なにか判断しなければならないシチュエーションの時、「自分の考えだけ」で決めていることはありませんか? メルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』の著者で自己改革小説の第一人者・喜多川泰さんは今回、「判断する前にやってみてほしいこと」を提案しています。
判断はあとでいい。その前に「知ろう」としよう
あなたが電車に乗って、座っていることを想像して。
そこに父親と男の子二人が乗ってきた。父親は一つ席を空けて、あなたの並びに座った。男の子は小学校に上がったばかりくらいの子と、幼稚園の制服を着ている子で、あなたと父親の間にある空席に二人で交互に座ったり、膝立ちになって窓の外を見たり、何かとうるさい。子供の靴があなたのズボンに当たる。
キャッキャと二人ではしゃいでいるが、そのうち座席に立って吊り革に飛びついてぶら下がったりとひどくなる一方。だが、その隣の父親は真横で起こっていることを気にする様子もなく、ただ座っている。時折子どもに話しかけられて「うん、そうだな」とつぶやく程度だ。周りの人の迷惑になるからやめなさいと注意する様子はない。
このとき、あなたはどう思うだろうか。
「静かにしてほしいなぁ」
「親の躾がなってないんだよ」
「普通親が注意するだろ」
「別の車両に移ろうかなぁ」
なんて考えるんじゃないかと思うんですよね。場合によっては「自分が注意してあげたほうがいいんじゃないか」って考える人もいるかもしれない。
そして実際に注意した人がいたとする。
「お子さんたちが他の乗客の迷惑になっていますよ。注意されないんですか」
あなたは「いいぞ、よく言った」と思わずニヤける。
言われた父親がハッと我に返る。
「あ、申し訳ありません。先ほど病院でこの子たちの母親が亡くなったところなんです。そのことをどうこの子たちに伝えたらいいか、この先どうやっていけばいいか、考えていたらぼーっとしてしまって…」
父親のその言葉を聞いたら、あなたはどう思うだろうか。おそらく、さっき考えたこととは違うことを考えるのでは?
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