新築住宅でガスと灯油の暖房が原則禁止?ドイツ政府の打ち出す「暖房法案」は何が問題なのか?

 

国民の抵抗を抑えて法案を通すための口実か

ただ、実はこれらは全て、国民の抵抗を抑えて法案を通すための、体のいい口実だと思われる。なぜなら、よく読むと、ガスや灯油の暖房器具を使い続けてよいのは修繕や交換した後の3年だけで、それ以後はやはり再エネが65%以上含まれた燃料を使わなくてはならないからだ。

つまりガスなら、有機メタンやグリーン水素(再エネの電気だけで作った水素)が65%混ざったもの、灯油なら合成オイルなどだが、そんな燃料を適当な値段で売ってくれる販売会社は、早々は現れない。

「では、遠隔暖房を」と思っても、こちらは熱交換所やパイプが必要なため、それが完備されていない地域では接続は不可能。パイプの拡張については、目下、政府が調整中だというが、グリーン水素と同じく、いつの話かわからない。つまり、結果として、遅かれ早かれ、皆がヒートポンプに買い替えなくてはならないということだ。

唯一、本当にこの義務が免除されるのは、現法案によれば、80歳以上の人らしい。ヒートポンプへの転換は、大きな経済的負担があるばかりでなく、大掛かりな工事を必要とするケースが多いので、老い先短い人間(?)に強要するのは気の毒ということか? あるいは、持ち主が世を去った後、ヒートポンプ設置と、それに関わる大きなコストのかかる家屋を買う人がいないであろうことを見越して、当局がそれらの家屋や土地を買い取り、公営の住宅にするつもりかもしれない。そうなれば、東ドイツ時代に逆戻りだ。

現在のドイツでは、全国4100万世帯のうち、ガス暖房が50%、灯油暖房が25%、遠隔暖房が14%で、ヒートポンプは3%にも満たない。そして、たとえヒートポンプに変えようと思っても、前述の通り、器具の代金に加え、床を剥がすなど面倒な工事や莫大な工費が掛かる。しかも、その工費は、古い家ほど割高になるため、収入の低い人たちに重い負担がかかることが必至。経済・気候保護省のハーベック氏は、潤沢な補助金をつけるというが、その財源は明らかではない。

さらにいうなら、現在のドイツには、それほど大量のヒートポンプ工事を行える工務店や職人のキャパシティーがないし、供給する電気があるのかどうかも覚束ない。はっきり言って、無理な法案なのだ。それでもハーベック氏はそんなことにはお構いなし。彼らにとっての政治の最重要課題は、産業興進でも、貧困対策でも、インフレ抑制でも、教育制度の改革でも、難民政策の改善でもなく、1日も早いカーボン・ニュートラルである。

そのためハーベック氏は、風力発電も急激に増やす方針だ。ドイツには、すでに陸海合わせて3万本近い風車が立っているが、今でさえ、風が強いと電気が余り、隣国にただのような値段で出す一方、夕方には太陽光発電がゼロになるので、石炭・褐炭火力を立ち上げても需要に追いつかず、毎日のように外国から高い電気を輸入している。つまり、これ以上いくら風車を増やしてもこの事情は変わらないばかりか、風のある時とない時の発電量の差が広がり過ぎ、その調整がますます難しくなる。しかし、ハーベック氏は、こんな不安定な電力事情の中、よりによって4月15日、ベースロード電源を担っていた原発をすべて止めてしまった。

CO2削減のためガスや灯油の暖房を禁止して、国民を高価なヒートポンプに誘導しているドイツ政府が、CO2フリーの原発を止め、その穴埋めに石炭と褐炭とガスを炊き増し、急激にCO2を増やしているのは、どう見ても辻褄が合わない。しかも電気代はEUでずば抜けて高いのだから、 ドイツの「エネルギー転換」は大失敗だ。

当然、外国企業のドイツへの投資は止まり、ドイツ企業の脱出も始まっている。ヒートポンプがいくら良いテクノロジーであっても、それをその他のテクノロジーを禁止して押し付けてくる政府のやり方に、産業界は自由経済の危機を感じ取っているからだ。自由のないところでイノベーションは生まれない。新しい技術の導入にはもっと時間が必要だ。

ヒートポンプがネックになって、今では住宅建設への投資も進まない。緑の党はかねてより、「ドイツ人は大きな家に住みすぎている」と言っていたから、政府はいずれ一戸建てを潰し、集合住宅を増やしていく予定かもしれない。まさに社会主義化であり、国民がそれに気づいた頃には、反対意見さえ出せない世の中になっているかもしれない。

東西ドイツが統一された後、あらゆる機構が旧西独の手に落ちたが、33年目にして、ドイツは徐々に東独化していくように感じる。原発を止めて、石炭を増やしているぐらいだから、緑の党の最終目標は、実はCO2とは関係なく、電気もガスも原子力もない「新しい世界」かもしれない。

今、あれほどの人気だった緑の党の支持率が落ち始めている。それでも国民がまだあまり騒いでいないのは平和ボケのせいだが、政府は暖房法案を夏にも通したい意向のようなので、それを機に国民もハッと目覚め、反対運動を始めるのではないかと思う。それが暴力的なグループなどに利用され、不穏な状況を招かないことを願うのみだ。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

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川口 マーン 惠美

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