「岸田を呼べ」統一教会・韓鶴子総裁の言葉で露呈した自民党の骨絡み

 

韓鶴子総裁とは?教団創始者・文鮮明との間に14人の子どもをもうける

「岸田をここに呼びつけ教育を受けさせなさい」とまで言い放った韓鶴子氏とはどのような人物なのだろうか。

韓氏は、公式発表によれば1943年、日本統治時代の平安南道安州(現在の北朝鮮)に生まれる。クリスチャンであった母と祖母に育てられる一方、父とは幼少時に生き別れたという。

韓氏が13歳のときの55年12月に母親が旧統一教会に入信。翌56年に韓国・ソウルの教団本部で韓氏は教団の創始者である文鮮明氏と初めて出会う。母が娘である韓氏を紹介すると、当時36歳の文氏はまだ幼かった韓氏を見てこう言ったという。

「こんなにかわいい娘がいたんだね」(*3)

それから4年後の60年に2人は結婚。文氏は離婚しており、彼女は2番目の妻となる。

以後、夫妻は七男七女、14人の子どもをもうけた。韓氏は17歳で長女を出産後、39歳まで、2年に1回以上のペースで文氏の子を産み続けた形に。

韓氏は自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』で、以下のように語っている。

普通、帝王切開というのは2回以上することはできません。3回目の手術を受けると言った時、担当医は母体が危険にさらされるといって、躊躇しました。(略)結局、私は4回手術をして子供を生み、天と交わした約束を果たして、責任を完遂しました。

一方、韓氏の存在感は徐々に高まっていく。夫である文氏が80年代半ばにアメリカで収監され、文氏が国外での活動が制限されていた。そこで90年以降、文氏の代わりに韓氏が世界各地を練りあるいた。

同時に韓氏は教団の実権を握ろうとする。教祖の文氏は三男の顕進氏を後継者に据えようとしてきたが、そのことに反発。四男・國進氏、七男・亨進氏と水面下で連携し、三男の追い落としに動く。文氏は12年9月に亡くなったが、その葬儀にも三男は参列できなかった。

葬儀の数日後、米ワシントン・ポストによれば、タッグを組んだ七男にこう言い放つ。

「私が神。唯一神だ――」(*4)

日本の朝鮮支配を利用し、多額の献金を巻き上げる

今回の「岸田首相を呼びつけろ」という韓鶴子総裁の発言は、韓国で誕生した旧統一教会が、いかにして日本に深く入り込み、広く浸透し、多額の献金を韓国へ送金するに至ったのかという“謎”を、如実に物語っている。

教団が多額の献金を集めるための基本的な指針として、「先祖解怨」(せんぞかいおん)という考えがある。これは信者の先祖を何代も遡り、献金によりその恨みを解くというもの。教団は、信者に長い時間をかけて行う献金させるための説教をし、

「じゃぁどうしたらいいのかというと、『お祈りをしてきます』。様々な先生がお祈りから戻って、何を言うかと思うと『4,500万・3,500万・2,100万、この3つの数字から何を選びますか?』つまりあなたの真心を持っている財産の中から天に捧げてください。それでご先祖さまが救えるんです…」(*5)

という。ここでいう「先祖」とは7代前まで遡る(*6)。つまり信者が7代前までの先祖の解怨までしなければならない。この「先祖解怨」が旧統一教会の献金システムとなっている。

さらに世界の献金の7割から8割近くは日本の信者によるものだという。しかし、これは単に日本人に熱心な信者が多いとか、経済力があるからというわけではない。

現在の旧統一教会は、韓国ではカルトというよりも、宗教と経済とが融合した、“宗産複合体”のという側面が強い。現地には『統一グループ財団』というものがあり、小・中・高校、大学まで存在。

彼らは、バチカンのようなミニ宗教国家を目指し、その資金に日本の信者による献金が使われている。教団は日本の信者に対し、「先祖の犯した朝鮮への植民地支配の怨念を懺悔する気持ちで献金しなさい」と迫る。

このような教団の“本質”が、先の韓鶴子総裁の発言として表れている。

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