現在の教員に関する問題の注目すべき点は、教員の数が足りなくなっている事実の方である。なぜ数が足りなくなったのかという問題の本質の部分に目をやらない限り、絶対に解決しない。
いつまでも「素晴らしい石臼づくり」を教員に求めている限り、成果は出ない。実は多くの人が、目の前の仕事が「石臼づくり」ではないかと気付きながらも、気付かないふりをしてやっている。どんなに素早く能率よく完璧な石臼を作れるようになっても、本質的に意味がないと知っている。
また、各種調査やチェックリスト、業務を改善しましょうというアンケート、ストレスチェック等々、色々来る。これらも多くがやらされる側にとって「石臼づくり」である。さらに厄介なことに、これらの多くは、教員を助けよう、教育の現場をよくしようという「善意」によるものである(「調査しましたよ」「把握しましたよ」という事実づくりのためと自覚されているものもかなりある。とりあえず出す宿題や参加承諾書などと存在価値が似ている)。
しかも、急に降ってきて、実施開始から〆切までがかなり近いことが多い。アンケート類はフィードバックやリターンがほぼない。それらが次々と「善意」で出される。その積み重ねこそが人々を苦しめている元凶である。
身体でたとえるなら、膝や肝臓などの部分最適ばかりを求めて、身体の全体最適を考えていないのである。体のどこそこが心配だからと、痛くもない腹をしょっちゅう探られ、検査され、「自己管理」を促される。「膝にいいから」「肝臓にいいから」と、部分最適としてのサプリメントや薬を常に大量に強制的に飲まされる。これを繰り返せば、当然、体と心を壊していく。善意だからこそ厄介で、ぜひ止めていただきたいところである。
教員の仕事の本質は子どもと直接関わる部分である。学級づくりや授業、生徒指導など、それこそ教員免許のない人々に「代替不可能」とされる部分である。こちらに注力できる仕組みを一から見直して作り直さない限り、教員志望者が増えることは、まずない。今のままで変えようとしても「石臼づくり」に時間が食われ過ぎるためである。そのせいで、これら本分の仕事すら「石臼づくり」になっている可能性も否めない。
まとめる。
『やりたいことをやれ』とは、実にいいタイトルである。
今まさに教育界に必要な考え方である。
裏返せば「やりたくないことをやるな(やらせるな)」でもある。
教育界に漂う閉塞感を打ち破るには、ここである。「そんなのはわがままだ」と言う人がいるかもしれないが、大丈夫である。その考えを貫いていてもなお、本当にやらねばならないこと、我慢せざるを得ないことは多く残る。「やりたくない」というより「やらない方がいい」ことを積極的にやめていくことである。
教師の職を志した時、実際に教師になって、本当にやりたいことは何だったのか。「石臼づくり」をがんばってしまっていないか、それは本当に相手のため、社会のためになっているのか、常に見直すようにしたい。
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