自身のSNSで突然の「離婚」を発表し、日本および世界に衝撃を与えたプロスケーターの羽生結弦(28)。そんな彼には、スケート人生を裏で支えていた母と姉という、なくてはならない存在があったことをご存知でしょうか。芸能記者歴30年のベテランジャーナリスト・芋澤貞雄さんが、過去に羽生を取材したときに体験した「ゆづママ」と「ゆづ姉」についての思い出と、取材の難しさについて語っています。
羽生結弦の離婚に思う、取材の在り方と“守る”ということ
羽生結弦のたった3ヶ月の結婚は、日本のみならず海外にも波紋を広げているようです。
17日深夜、『X』で発表したその理由の“ストーカー行為、許可のない取材、不審な車”というキーワードには私も思い当たる節もあり、心を痛めています。
このブログでも以前、何度か羽生への取材のことを書いた時、読者の方から「取材っていうかストーカーじゃん」というコメントをいただいたこともありましたし…。
確かに東京から仙台まで、1度もサービスエリアに立ち寄ることがなかった羽生の動向を考えると、何かを食べたり飲んだり、トイレに行くことさえ見られるのが嫌なんだろうな…とわかります。
こんな時代ですから、スマホですぐアップされるプライベートが、メディア媒体の取材と同じくらい避けたい事だったのでしょうね。
遠征時のホテルや通院先のエレベーター内で一緒になった羽生は、目が合うといつもすぐに目を伏せ、うつむき加減になっていました。
あれだけの成績を残せる選手が、プライベートでは人目につくことを恥ずかしがるなんてと、それを可愛らしく感じた自分がいたことも事実です。
今回の離婚に関して、私への問い合わせがいちばん多かったのは羽生の実母と姉に関することでした。
まだ羽生が選手だった頃、移動の際は必ずたくさんの荷物を持って、羽生の10メートルあたり後ろを静かに歩くのが実母のルーティン・ワークでした。
あれだけ華麗な、神経質で華奢な羽生を守り育てていくのには欠かせない存在だったのは間違いありません。
羽生の“精神安定剤”のような存在が実母だったと断言できます。
私が鮮明に記憶しているのが、埼玉で行われた国際試合で、ISUが指定した選手たちが泊まっていたホテルのパーキング・エリアを取材したときのことです。
羽生が会場直行バスに乗り込むのを見送った直後、私は実母に声を掛けました。
すると彼女はホテルに戻るでもなく、“議事堂通り”を“アイランドタワー”の方に歩き出したのです。
1度しか声は掛けなかったのですが、私はこの時、何故でしょうか新宿署に入っていくだろう実母を感じたのです。
彼女の歩き方に“怒り”や“迷惑”を感じ、“邪魔です。消えて下さい”という心の声が聞こえたのです。
芸能記者として取材をしていると、時々体験する“一線を超える”瞬間です。
【関連】羽生結弦は「8歳年上妻に捨てられた」説の真偽。たった105日で電撃離婚のナゼ、熱狂的ファンとマスコミが“責任押し付け合い”の修羅場