一夜で派閥を乗っ取った「山賊」二階俊博が子分たちにバラまいた“汚いカネ”

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自民党歴代最長のおよそ5年間にも渡り幹事長を務め、党内で圧倒的な権力を振りかざしてきた二階俊博衆院議員。しかしその職を退いてからは櫛の歯が欠けるように所属議員が去り始め、裏金問題で地検の強制捜査が開始されるや3名の閣僚も退会届を提出する事態となりました。そもそもなぜ二階氏は党内で絶大な権力を得るに至ったのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、二階氏が党から受け取っていた50億6,000万円という巨額の政策活動費がその“原資”になった可能性を指摘。さらに二階氏が、現在問題となっている裏金を含めた巨額の使途不明金で「無能の金権政治家」を増殖させた罪を強く批判しています。

損得勘定が引き合わぬ。議員が次々脱会で激怒の“金権親分”二階俊博

自民党二階派、すなわち志帥会は、亀井静香氏のグループが政策科学研究所(村上派)と合併して、1999年3月18日に結成された派閥である。

亀井氏は昨年12月25日に放送されたテレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」で、二階派の領袖、二階俊博元幹事長についてこう語った。

「こちらが作った砦に来て、一晩泊めてやったんだよ。それが一夜にしてね、居候のくせに乗っ取っちゃったんだ。それが二階だよ。だから、彼はすご腕だよ。すご腕の山賊なんだよ。そういう男でないと政治はできない」

二階氏は1993年、小沢一郎氏らとともに自民党を離脱し、新生党、新進党、自由党で小沢氏の側近をつとめた。自自連立政権で運輸大臣になったあと、連立解消に動いた小沢氏と袂を分かち、保守党、保守新党を経て自民党へ復党した。

志帥会(当時の伊吹派)に入会したのは2009年のことだった。当時、亀井氏は小泉純一郎政権の郵政民営化法案に反対してとっくに離党し国民新党を結成していたのだが、自分たちの作った砦を二階氏に乗っ取られたという意識は捨てがたいとみえる。

すご腕の“山賊”は、いまや足取りもおぼつかない84歳。その派閥も、二階氏が自民党幹事長を辞めて以来、所属議員の減少が続いていた。そんなところに、パーティー券売上の裏金化が発覚し、東京地検特捜部の捜索が派閥事務所に入った。

人事権で法務省・検察を抑え込んだ安倍晋三元首相がいなくなり、安倍派が狙い撃ちにされるのはわかるが、二階元幹事長が健在である二階派にまで特捜が踏み込んだのである。二階氏の威光に陰りが見え始めたということか。

二階派所属の自見英子・内閣府特命担当大臣(万博担当相)は、ガサ入れ後の会見で、派閥を離脱するかどうかを問われ「答えることはない」と回答を拒否していたが、内心ではすぐにでも退会届を出したかったに違いない。

もともと自見氏には二階派への愛着などない。9月13日の内閣改造で初入閣したのも、二階派の要望で実現した人事ではなかった。参院比例区で当選2回にすぎない自見氏を、大臣「待機組」を押しのけるように入閣させたのは、なんと、麻生太郎副総裁だったといわれている。

意を決した自見氏は12月22日の記者会見で、二階派からの退会を表明した。ところが、コトは思うように運ばない。「派閥幹部の了解を得た」と自見氏は言うが、同派事務総長、武田良太氏は「受理していない」と主張し、問題が宙に浮いたままとなった。

自見氏は小児科医として勤務した後、父である自見庄三郎元郵政大臣の秘書となり、日本医師連盟の組織内候補として、2016年の参議院選で初当選した。2020年に二階派に入ったが、本人のたっての希望というよりも、二階氏と仲が良かった日本医師会会長、中川俊男氏の顔を立てるための入会という側面が強かった。

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