作家・冷泉彰彦氏が「スゴイカタイアイス論争」に終止符。幻想としての完全主義から日本は脱却できるか?

 

スゴイカタイアイスと、幻想としての完全主義

では、スゴイカタイアイスのファンは「非常にノンビリした人」だとか「待ち時間を楽しめる風流人」というイメージかというと、どうもそうではないのかもしれません。

これは全くの仮説ですが、金属製のスプーンを入れようとするぐらいに「スゴイカタイ」アイスの愛好家というのは、一種の潔癖症なのだと思います。

つまり、アイスが完全に凍った状態を10、完全に溶けた状態を0として、スプーンが入る程度の柔らかさが7、おいしく食べられる柔らかさの温度が5だとすると、5でも7でもなく、10というのが「理想品質」あるいは「完璧な品質」だという感覚です。

カネを出す以上は完璧な品質で欲しいという、一種のイリュージョンとしての完全主義ではないかと思うのです。

それは実質か形式かといえば、形式であり、意味があるのかないのかというと、要するに意味はないのだと思います。

問題はそのような形式主義、意味のない完全主義という感覚が、日本の消費文化やビジネス文化にあるのではないか、ということです。

例えばブランド店など小売店の過剰包装や、サービス業の過剰な「おもてなし」がそうです。

スゴイカタイアイスを愛する完全主義というのは、もしかしたら別のところで決定的なムダを引き起こしているのではないか、という反省は必要かもしれません。

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