これを見た子供たちの中には将来科学者になって宇宙ロケットの開発に従事したい、あるいは宇宙飛行士になりたい、月や火星に旅行したいと夢見る子供たちも大勢出たことでしょう。宇宙などまさにデイズニー映画、漫画の世界だと思われていたのがブラウンによって現実となるのではと思わせたに違いありません。
こうして子供たちの宇宙への夢を喚起しつつも、ブラウンは陸軍弾道ミサイル局の開発オペレーション部長として西側諸国初の人工衛星エクスプローラ一号の打ち上げに成功しました。これが、アメリカにおける宇宙開発計画の出発となりました。1960年ブランはアメリカ航空宇宙局NASAが新設したマーシャル宇宙飛行センターを設立、初代センター長に就任します。
折しもアメリカは若きジョン・F・ケネディが大統領に就任、人類を月に送る計画が発足します。責任者となったブラウンは低軌道、月軌道飛行用有人打ち上げ機、サターンロケットの開発に従事します。サターンロケットは使い捨ての三段式液体燃料打ち上げロケットでした。のそして、1969年サターンVロケットで打ち上げたアポロ十一号が月面着陸に成功します。
ブラウンは夢に見た月ロケットを実現させたのです。彼が月ロケットについて語ったのは第二次世界大戦の最中でした。そう、V2号ロケットを開発している時です。熱を込めて月ロケットについて語り過ぎたため、国家非常時に不遜な言動だとゲシュタポに逮捕されてしまいました。
ゲシュタポに彼を釈放させたのはヒトラーです。ヒトラーは何もブラウンの月ロケットに興味をひかれたわけではなく、あくまで戦局挽回のための秘密兵器V2号へ期待したためです。
V2号ロケットがロンドンに着弾した時、ヒトラーは大いに喜びましたが、「ロケットは正確に動作したが、間違った惑星に着地した」とブラウンは複雑な心境を吐露しました。
「私は宇宙へ人間を飛ばすためなら、悪魔と手を握ってでも働き続けたと思う」この言葉がブラウンの人生を語っています。
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