韓国と日本国民の情緒を同じ物差しで評価することはできない。植民地の歴史を記憶する韓国国民は、日本と関連した事案にはるかに敏感で、即自的に反応するのはある意味当然といえるかもしれない。
光復節に日本を背景にしたオペラを流したKBSの無神経さも批判されてしかるべきかもしれない。それでも我々韓国がヨーロッパの巨匠の代表的オペラに「君が代」がしばし出てきたからといってそこまで敏感に反応しなければならないのかは一度考えてみる問題ではないかと考える。
韓国の経済水準がすでに日本に追いつき、何より文化的(K-ポップ、K-映画など)には日本をクリアーしつつあるという世界の評価を受けているという事実を考えればなおさらだ。
朝鮮日報の記者はこう書いている。韓国の文化的・経済的レベルが日本に追いつき追い越しているのかどうかは筆者は確かにはわからないけど、この記者の論点(=光復節にオペラ・蝶々夫人を流したからといって目くじらを立てるなよ、という主張)には全的に賛成だ。
でも多分この雰囲気(光復節に日本のものをやるといったこと)は今後数十年は変わらないだろう。それでも「そうガツガツと神経質になるなよ」という思いを持っている人が韓国人の中にもいるということはこの記事が大手新聞に堂々と掲載された事実からも窺い知れる事実であり、それは筆者が韓国に渡ってきた36年前から見ると想像もつかないほどの大きな変化と言える。
こういううれしい変化があちこちに生じていけば、日本・韓国の関係ももう少しあったかく柔らかいものになるはずだ。小さな変化を積み重ねていくしかない。[朝鮮日報参照]
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