現役小学校教師が「不親切こそ親切だ」と語る“本当の意味”

 

ちなみに、Aの親切ごかしと、Bの「親切」のどちらが悪いか。

断然Bの方が悪い。Aは、我欲のためという自覚、本当は良くないという自覚がある。

一方で、Bは崇高なる「善意」に基づいており、自らの悪行に無自覚で非常に性質が悪い。

Bパターンに陥りやすい人が意識すべきことがある。教育とおもてなしは違うという自覚をもつことである。

高級ホテルや旅館なら、お客様を贅沢にもてなすことが大切である。テーマパークなら、ゲストに非日常の最高の体験を提供するのが使命である。それをされたら自分が最高に嬉しいから、人にもしてあげようと思うのかもしれない。

学校は、目的が違う。子どもの成長の場である。主体性をもち、自立に向けた力を養う場である。それをやることで、子どもの主体性は育つか否かを問いかける必要がある。

やってあげた方がいいこともある。それは、本人が頑張ってもできないことである。自然、一年生にはやってあげることが多めになるし、六年生、中学生に対しては少なくなる。その場合は本物の親切で、必要なことである。

注意すべきは、その親切も続けていると、Bパターンの「親切」になってしまうことがあるという点である。いつまでもやってあげていたら、いつまで経ってもできないままである。少し無理をして頑張ればできそうという、痛気持ちいいぐらいのストレッチが大切なのである。

ごくわかりやすい例で言えば、トイレである。親は、幼少期に一緒についてあげつつ、一人でできるように促す。ずっと一緒にトイレに入ってあげる訳にはいかないからである。(もちろん、子どもが何か身体的な問題を抱えているなら別である。)

これが他のあらゆることにも適用される。いずれ自分でできる力を育むのが教育である。やり続けていたら、それは「サービス」と化す。先のトイレの例でいえば、ずっと付きっきりの介護状態になってしまう。それは、学校教育の目指すべきことではない。

学校は教育の場であり、言わば親切を主体的に実行できる人間に育てる場である。社会で役立つとか、人を助ける、人に喜ばれるというのと同義である。それは、自分を生かすということでもある。

親切ごかしや「親切」は、真の親切とは真逆の方向である。だから意図的に「不親切」をススメているのである。不親切こそ、親切なのである。

親切は最高の美徳である。親切を実行できる人間を育てるためにも、不親切教師のスタンスをオススメしたい。

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