太平洋戦争終了後29年間もフィリピンに潜伏し、生還した小野田寛郎さん。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、過酷な体験をされた小野田さんへのインタビューを紹介しています。
【最後の日本兵】小野田寛郎さんはなぜ、ルバング島で孤独を感じなかったのか
フィリピン・ルバング島のジャングルで、太平洋戦争終了後も29年間潜伏し、生還した元陸軍少尉の小野田寛郎さん。小野田さんはなぜ29年もの間、孤独に耐えることができたのでしょうか。過酷な体験談を語っていただきました。
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ルバング島にいた30年間で発熱は2回でした。それは仲間が負傷して、介護疲れでちょっと出しただけです。熱が出たところで、医者も薬もないですから、まずは健康でいることが大事です。そして健康でいるには頭をよく働かせなければダメです。自分の頭で自分の体をコントロールする。健康でないと思考さえ狂って、消極的になったりします。
島を歩いていると、何年も前の遺体に会うこともあるんです。それを埋めながら、「早く死んだほうが楽ですね」と仲間に言われ、本当にそうだなと思ったこともあります。
獣のような生活をして、あと何年したらケリがつくか保証もないですし、肉体的にもそういつまでも戦い続けるわけにもいかない。いずれはこの島で死ななきゃいけないと覚悟しているので、ついつい目の前のことに振り回され、「それなら早く死んだほうが……」と思ってしまう。
結局頭が働かなくなると、目標とか目的意識が希薄になるんです。だから、仲間と喧嘩をするのも、頭が働かずに正しい状況判断ができない時でした。
右に行くか、左に行くか。そっちへ行ったら敵の待ち伏せに遭うから嫌だと言う。しまいには、「隊長は俺たちを敵がいるところへ連れて行くのか、そんな敵の回し者みたいな奴は生かしておけない」と言って銃を持ち出します。
「馬鹿、早まるな。やめろ」と言えばいいんですけど、こちらもついつり出されて銃を構えてしまう。しまったと思って、「じゃ命があったらまた会おう」と言って回れ右して、僕は自分が行こうと思っていた道を行くのですが、背中を見せるわけだから、そこで撃たれたら死んでいました。だから僕らの場合は議論をするにも命懸けでした。
いずれにしても、頭がしっかり働かなくなると正しい状況判断ができなくなる。よく孤独感はなかったかと聞かれましたが、僕は孤独なんていうことはないと思っていました。22歳で島に入りましたが、持っている知識がそもそもいろいろな人から授かったものです。すでに大きな恩恵があって生きているのだから、決して一人で生きているわけではないのです。
一人になったからといって昔を懐かしんでは、かえって気がめいるだけですから、一人の利点、それを考えればいいんです。一人のほうがこういう利点があるんだと、それをフルに発揮するように考えていれば、昔を懐かしんでいる暇もなかったです。
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