我々の知的好奇心を大いに満たしてくれる「読書」。しかしながら、ただ本を読んだだけで得られる知識が極めて限定的なものであることも、また言わずもがなの事実です。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では文筆家の倉下忠憲さんが、「わかりやすい本を読んで得られた知識」に足りないものを解説。さらに「本を読むことの良さ」について考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:本を読むと賢くなった気がする
本を読むと賢くなった気がするだけ。「わかりやすい本を読んで得られた知識」に足りないもの
本を読むと、賢くなった気がしてきます。特に、わかりやすく書かれた本を読むと、いろいろな知識が得られてハッピーです。
そうした知識を複数組み合わせると、なんとなくスゴそうな文章が書けたりもします。知的な文章の生成。あたかもそれが知的生産であるかのように勘違いしてしまうかもしれません。
しかしながら、そんなに簡単に賢くなれるなら、そもそものその賢さにはバリューがないでしょう。得ることが難しいからこそ、バリューが宿るわけです。簡単にハックされてしまうものから価値がはぎ取られてしまうのは、「ページランク」の歴史を眺めれば一目瞭然です。
では、「わかりやすい本を読んで得られた知識」に足りないものはなんでしょうか。
■「名詞」でしかない本を読んだだけで得られた知識
本を読んで(読んだだけで)得られた知識は、端的に言えば「名詞」でしかありません。
たとえば、「弁証法」という言葉を知ることは簡単にできます。ちょっとググッてみましょうか。
弁証法とは、ある命題(テーゼ)と対立関係にある命題(アンチテーゼ)を統合し、より高い次元の命題(ジンテーゼ)を導き出す止揚(アウフヘーベン)の考え方を土台とした思考法。
検索結果のページを見るだけでも、これだけの情報が手に入ります。上記を丸暗記しなくても、「テーゼとアンチテーゼがあって、そこからもっとすごいジンテーゼというのを生み出すんだな」くらいはわかるでしょう。それをアウフヘーベンと呼ぶこともわかります。
このようにして「弁証法」という名詞が手に入りました。広い意味で言えば、これもまた知識の一種ではあるでしょう。しかし、名詞的な知識です。
以降でその名詞的な知識の不十分さを指摘していくつもりですが、その前にお断りしておきたいのは、別段そうした知識を得ることが悪いわけでも間違っているわけでもない点です。
というか、一番最初はそれが入り口になります。そもそも「弁証法」という名詞を知らなければ、ググることもできませんし、関連文献を探すこともできません。だからまず言葉=名詞を取得するのがスタートです。
ただ、そこで終わりにしてしまうか、それとも始まりにするのかに違いがある、という点を確認していきましょう。
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