証明されたダーウィン「適者生存」原理の誤り
さて、しかし、「草木国土悉皆成仏」思想は日本の専売特許ではないのかもしれないと思わせる議論が、他ならぬ米国の生物学者たちの間から湧き上がっている。科学ジャーナリスト=クリスティン・オールソンの『互恵で栄える生物界/利己主義と競争の進化論を超えて』(築地書館、14年10月刊)がその様子を分かりやすく描いている。
端的に言うと、森の中の植物と土壌微生物とが「互いに生命を与え合うパートナーシップ」を築いていて、その関係は「目には見えない地中の網の目」となって森林全体に広がっていることが明らかになるにつれ、欧米に伝統的な「木を伐り森を破壊することによって文明が始まる」という思想は誤りだったという認識が広がりつつあると言うのである。
著者は、カナダの森林学者スザンヌ・シマードと出会い、彼女がブリティッシュ・コロンビア州で進める「マザーツリー・プロジェクト」を見学する。そこでは、森の一定区画の樹木を全て伐採しその跡に微生物のいない培養土で育苗された苗木を移植する「皆伐」型の森林管理方法を見直し、「北米の先住民がどのように土壌の手入れをしていたか」を深く理解することを基本として、乾燥に苦しむ森をいかに再生するかの様々な実験を行なっていた。
その営みから明らかになってきたのは、途中の詳しい説明を全部素っ飛ばして結論だけを言うと、チャールズ・ダーウィンの「適者生存」原理――全ての生き物は乏しい資源をめぐり生存競争を繰り広げていて、その多くの試練に何とか勝ち残った者が現在生きている種であって、つまり生命世界は食うか食われるかの凶暴で終わりのない競争に支配されているという考え方――は誤りだということである。
彼女は書いている。
▼私たちはダーウィンの洞察を誤ったやり方で世界にあてはめ、自然界に存在している寛容さと協力関係を見落としてきた。……もし私たちが、もっと広い世界の寛容さと協力関係を知らずにいれば、自分たち自身の調和のあるつながりをも見落としてしまうだろう。もちろんそれは、私たちが自然の一部だからだ。私たちは、周囲の自然との複雑で創造的で活気に満ちた関係に支えられ、自然の一部として存在しているからこそ、生きることができる。……そのことをしっかり理解すれば、自分たち人間は〔自然に対する〕搾取者、植民者、破壊者などではなく、相棒として手助けをする立場にいて、より大きな、互いに与え合う仕組みの一部だとみなしはじめることができる。
▼現代の科学の最良の使い途とは、自然がどのように機能しているかを見つけ出すこと、そして人類がこれまで自然に対して加えてきた傷を癒すとともに、これ以上の傷を与えずにすむよう手助けをすることだ。……人間以外の生き物も私たちと同じように繁栄する権利を持っていて、人間によって利用されるために存在しているわけではないからだ……。
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