東電旧経営陣に無罪判決。最高裁「巨大津波は予見できなかった」が大ウソであるこれだけの証拠

 

国にも東電にも責任はないとした最高裁の判断の異常

そして、14年が経った今もなお、福島では、県外避難者が1万9,849人、県内避難者が5,756人、避難先不明者が5人、計2万5,610人もの人たちが避難生活を余儀なくされているのです。東日本大震災による避難者は、現在約2万8,000人ですが、その9割に当たる2万5,000人以上を福島県民が占めているのです。そして、その最大の原因は、原発周辺の富岡町、浪江町、双葉町、大熊町、飯舘村、葛尾村の6町村に、放射線量が高くて住むことができない帰還困難区域が今も残っていることです。

双葉町に至っては、今も行き場の見つからない放射能汚染土が中間貯蔵施設に東京ドーム11杯分もあるのです。そんな状態なのに、政府は部分的に除染して、そのエリアだけ帰還困難区域から除外し、住民に帰って来いと言うのです。当時の岸田文雄首相は2022年8月、双葉町の帰還困難区域を部分的に解除しましたが、現在までに帰還した住民は100人もいません。現在、双葉町には181人が居住していますが、半数以上は帰還した住民ではなく、復興のために他県から移住して来た人たちです。双葉町の住民は、今も約5,500人が避難中なのです。

こうした現状を見れば、福島の2,348人という突出した「震災関連死」が、福島第1原発事故によるものだと分かります。そして、その福島第1原発は「国策」として国と東京電力が一体となって推進して来たのです。それなのに、これほどの犠牲者を出しておきながら、今も多くの人たちを苦しめ続けておきながら、国にも東電にも責任はないとした最高裁の判断の異常さに驚きました。

東電の旧経営陣は本当に巨大津波を予見できなかったのか

さて、今回の裁判で争点となったのは、東電の旧経営陣が「巨大津波を予見できたかどうか」、そして「安全対策をしていれば事故を回避できたかどうか」でした。これに対して最高裁は「巨大津波は予見できなかった」、だから「旧経営陣には何の責任もない」と結論づけたのです。以下、時系列で解説します。

2002年7月、専門家で構成される政府の地震調査研究推進本部は「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」という報告書で「福島沖を含む日本海溝沿いでマグニチュード8級の津波地震が起きる可能性がある」として「原発の敷地の高さを大きく超える津波」を予測しました。

時は流れて2006年3月1日、京都大学工学部原子核工学科卒で、日本共産党の原発エネルギー問題委員長をつとめていた吉井英勝議員が、衆議院予算委員会分科会で「日本の原発の多くは巨大地震によって大津波が起こると、引き波によって取水冷却ができなくなり炉心溶融(メルトダウン)や水蒸気爆発の恐れがある」と指摘しました。答弁に立った経産省の広瀬研吉原子力安全保安院長は「津波で引き波が起こると最大で44基の原発が一時的に冷却できなくなる」と認めました。

「早急の安全対策」を求めた吉井議員に対して、当時の二階俊博経産相は「安全確保のため省をあげて真剣に取り組むことをお約束したい」と答弁しました。しかし、当時の小泉純一郎首相が「日本の原発は世界一安全なので今以上の安全対策は必要ない」という元来のスタンスを変えなかったため、この二階経産省の答弁は実現されませんでした。

また、吉井議員は福島県連と共同で、東電の当時の勝俣恒久社長に対しても「福島第1原発の早急の津波対策」を書面で申し入れました。しかし勝俣社長は、当時の小泉政権と歩調を合わせ、この申し入れを完全スルーしました。

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