2006年には「巨大津波による電源喪失」を予見していた東電
2006年7月、東京電力は、原子力安全保安院と原子力安全基盤機構が設けた「溢水(いっすい)勉強会」で、巨大津波が押し寄せた場合に原発が電源喪失して甚大な事故に至る可能性があると報告しています。そして、この東電からの報告は保安院も共有しました。この事実は国会事故調報告書にも明記されています。つまり、東電でも現場の社員たちは、少なくとも2006年の時点で「巨大津波による電源喪失」を予見していたのです。
それなのに、当時の勝俣社長を始め東電の経営陣は聞く耳持たずで、危険性を共有した保安院も特に安全対策には言及しませんでした。
2006年9月、政権は小泉純一郎首相から安倍晋三首相へバトンタッチされました。首相が代われば原発の安全対策に対するスタンスも変わるかもしれないと思った吉井議員は、12月13日、当時の安倍晋三首相に「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出しました。すると安倍首相は、国会で次のように答弁したのです。
「そのような事態は起きえないから対策の必要はない」
またまた時は流れて、2008年3月、東電の子会社の東電設計が、2002年7月の政府の地震調査研究推進本部の「長期評価」を元に試算したところ「福島第1原発には最大15.7メートルの津波が来襲する可能性がある」との結果が出ました。この報告を受けた東電本店の土木グループは「津波想定の大幅引き上げ」と、それに見合った「安全対策工事が必要」と認識し、沖に防波堤を建設し、敷地に防潮壁を築くなどの計画の検討を始めました。しかし、当時の勝俣恒久社長は、莫大な予算が掛かることを理由に、この計画を先送りしたのです。
そして勝俣社長は2008年6月26日付で、2007年7月に発生した柏崎刈羽原発の事故の責任を取るというテイで社長を引責辞任し、東電の会長に収まりました。その上、自分の娘婿である清水正孝副社長を後任の社長に据えたのです。まるで大阪府知事と大阪市長のイスを独占し続ける日本維新の会のような方式ですね。後任の清水正孝社長は「廃炉反対」の原発イケイケ派でした。
そんな原発イケイケ派の清水正孝社長体制がスタートした2008年7月、東電の土木グループは東電本店での会議で、当時の武藤栄副社長に津波対策の必要性を訴えました。地震津波対策を担当する社員が「防潮堤などの工事に4年の歳月と数百億円の工費が掛かる」と説明しました。すると武藤副社長は「研究しよう」と言って、外部機関への調査依頼を指示したのです。これは完全に「実質的な先送り」であり、津波対策の必要性を訴えた社員は「対策を進める方向だと思っていたので、予想外の結論に力が抜けました」と当時を振り返りました。
そして福島第1原発は、清水正孝社長の下、何の津波対策も行なわれないまま、2011年3月11日を迎えたのです。こうした流れを見れば、世界最悪レベルの原発事故の責任が、どこにあるのかは一目瞭然でしょう。そう、歴代の自民党政権と東京電力なのです。でも、それだけではないのです。日本の原発、特に福島第1原発の危険性を訴え続けて来た日本共産党の吉井英勝議員は、自民党が下野した民主党政権でも同じ訴えを続けていました。
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