配達員の顔が見えない「置き配」で気付く。仕事にまつわる倫理観は常に“客の顔”を通してしかイメージできない

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今や当たり前となった「ネット通販」による便利な生活。特に仕事で家を空けがちな人にとって、「置き配」は再配達のわずらわしさもなく、便利なことこの上ありません。しかし、今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』の著者で文筆家の倉下忠憲さんは、配達員と届け先の間で生じる「挨拶や慰労のやりとり」に、客の顔が浮かぶからこそ生まれるであろう気持ちの変化について思いをめぐらせています。

顔の見えない配達員

最近ルーズリーフを使っているのですが、A5サイズの色つき用紙が近所の文房具店でまったく売っていないので、Amazonで注文することにしました。例のごとく、朝に注文したら、その日の夜に届いていました。そう、届いていたのです。

自宅にはいたのですが、置き配だったのでメールの通知で商品が届けられていることを知りました。直接受け取ったら「届きました」と表現したくなりますが、気がついたらそこにあったので「届いていた」という表現がしっくりきます。

なんにせよ楽です。

いちいち応対しなくてもいい。話さなくてもいい。電話を忌み嫌う私のような人間からすれば、置き配はすばらしい制度です。きっと、配達している人もいちいちインターホンを鳴らし、出てくるのを待って、挨拶してから荷物を渡すなんて七面倒くさいことをしなくていいのだから、実に快適な環境なのではないか……

と思ったところで、本当にそうだろうかとセルフツッコミが生じました。

というのも、なんだかそのときの私は「早急に届けてくれて、ありがとう」という気持ちを持っていたのです。もし、その商品を直接受け取っていたら、たいして饒舌でなくても「お疲れ様です」の一言くらいは言っていたでしょう。

そんな慰労の言葉などありふれています。たいした意味があるようには思えません。

でも、そうではないでしょう。生成AIとやりとりしていると、彼らの反応がまずもって「素晴らしいですね!」や「お疲れ様です」といった人間の心に寄り添う言葉に満ちていることに気がつきます。そして、機械的に生成された言葉に過ぎないのに(これがどういう意味なのかはさておくとして)、それを読むとこちらの心にも反応が生まれてきます。そういう文字が列挙されているという認識以上の「意味」が生じるのです。

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