この店の何が僕を怒らせたのか?あえて言語化してみる
僕が何に憤りを感じたかというと、せっかく日本に来たのだからパンケーキをおいしく食べたかったし、はちみつがしみ込んだ、冷えた状態のパンケーキを大切に育てていたのに、それを食べ損ねたことが一つです。
もう一つは、以前お話ししたかもしれませんが、人が怒りに囚われるのは、自分のこだわりを無視されたと感じた時や、「こうあるべきだ」と思っていることに対して、相手が違う反応をした時です。
僕にとっての「こうあるべき(信念)」は、プロフェッショナリズムのお話になります。
料理のプロトコル(「まだ食べていますよ」というサイン)を無視してお皿を下げるなど、給仕長の方々の対応は、すべてが後手でした。僕からすると、給仕長の打ち手は「もうお皿を下げちゃったから帰ってくれるかな」と受け取れてしまう。さらに、レジに向かってその前で待たれると、「お金を払えということなのかな」と感じてしまう。しかも、謝罪の言葉はあっても、自分の行為を悪いとは思っていないように見えてしまいます。
プロフェッショナリズムとプロトコル
ここで大事なのは、僕が考えるプロフェッショナリズム、つまり、「このくらいの格式の飲食店においては、通念上必要とされているだろうと考える『プロトコル』」とのズレです。
お店の方は、もしかしたら「もう一度作り直します」と言おうとしたのかもしれません。しかし、僕の「信念ちゃん」からは、今お話ししたような対応に見えてしまったのですよね。
もちろん、僕も大人にならなければならないと思います。押し付けるわけではありませんし、僕自身、自由な振る舞いをしているのですが、ただ、こういうことが起こるたびに考えてしまうのは、日本のおもてなし(文化)がどんどん廃れていっているということです。
特に、それなりの格式があるお店でそういう対応をとられると、憤りを感じやすくなるのだなと思いました。
百貨店での気づきとプロトコルへのこだわり
昨日、新宿伊勢丹店の本館に久しぶりに行ったのですが、ちょっと驚く出来事がありました。漫画家の西村しのぶさんが――(『尾原のアフターデジタル時代の成長論』2025年4月17日号より一部抜粋。尾原氏が「プロトコル」についてさらに深く考察する続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
この記事の著者・尾原和啓さんのメルマガ
【関連】AIに追い抜かれるのは一瞬。ChatGPTで「ジブリ風の絵」が出来てしまった件が意味するもの(尾原和啓)
image by: JeniFoto / Shutterstock.com