「暗黒」よりも絶望的。参政党が躍進した参院選が描き出す「薄暗い未来」という光なき日本の未来像

 

「敵を作ってイデオロギー論争を仕掛ける」という姑息

2つ目の移民へのノーですが、今回の参政党の躍進は、フィクションも交えた様々なレトリックに有権者が乗っただけとは言え、その根底にあるものとしては、「日本人による、日本人のための日本」という思想だと思います。これは、賃金の低い現場労働者を入れれば日本人の雇用は脅かされないし、人手不足の対策にはなるが、治安は悪化するというロジックを伴っています。

それだけではなく、漠然とした「移民が入ることになって日本が変わること」へのノーも伴っています。これに対して、例えば立憲などは「多様性が大事」などという意味不明なメッセージで対応して票を減らしました。これは、移民を入れないと経済も社会も回らないことをハッキリ打ち出すのではなく、「豊かな国である日本は多様性という理想を実現してより自己評価を高めたい」というような「既に失われた豊かさ」からの視線でした。そのダメさに無自覚ということで、これは負けても仕方がなかったと思います。

そうではなくて、できる限り日本を改革して、最先端産業による先進国経済を回す、そしてグローバリズムに適応できなかった過去40年の失敗を乗り越える、そのための知的な英語話者の労働力を入れるべきなのです。ですが、今回の選挙結果は、そうした高度移民にもノーが出てしまったと位置づけられます。

そんな中で、参政党が主なのですが、敵を作ってイデオロギー論争を仕掛けるという手法が乱用されました。勿論、過去にれいわや左派政党がやってきた反原発にしても、維新がやってきた福祉やインフラのコストカットにしても、確かに敵を作って論争を仕掛ける手法が使われてきたのは事実です。安倍晋三氏などの手法もそうでしたが、安倍氏の場合は敵を作って右派ポピュリズムを求心力としながら、実際の政策は中道左派的にやるという高等技術がありました。

ですが、今回の選挙で吹き荒れたポピュリズムはネットの活用により、あるいは欧米での現象を参考にすることで、更にタチが悪くなっていると思います。というのは、単にイデオロギーや情念が暴走するという問題ではないように思います。そうではなくて、日本社会が直視しなくてはならない格差を「なかったこと」にする、そして「ありもしない連帯意識」によって、仮想のコミュニティを作るということです。

この仮想のコミュニティのためには、敵が必要であり、敵を叩くためにイデオロギーが必要になるというメカニズムが回っているわけです。では、そこで隠される格差とは何かというと、3つの格差です。それは「グローバル経済にアクセスしている層と、していない層」「1980年代までの経済の恩恵に与った層と、そうでない層」「地方と大都市圏」という3つです。

日本の社会が前へ進むためには、この3つの格差を浮き彫りにして、そこにメスを入れていくことが必要です。グローバル経済については、敵視するのではなく、経済の全体が適応してその結果を受けるようにすべきです。世代間格差については見える化した上で移転の方法を考え、移転についても蕩尽ではなく投資としてリターンがあるようにすべきです。都市と地方の格差はそれこそ、日本経済の浮沈のかかったテーマとして取り組むべきです。

そうなのですが、こうした格差を直視するのは政治的にも高度になります。何よりも、選挙の場合は格差のある2つのグループの双方から集票がしたい、となると格差に突っ込んでいくのは損ということなのでしょう。反対に、どうでもいいイデオロギーの話を前面に出して、不要なコミュニティ、不要な連帯意識を仕掛けて票にする、そうした手法が取られました。

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