「何かの機会に使ってみたい」。核保有国リーダーの本心
協調の綻びは世界のパワーバランスを変え、分断を助長し、“力による平和”ではなく、“力による強制”に国際情勢の現実を変えてしまいます。
それがロシアによるウクライナ侵攻に現れ、イスラエルによるガザへの容赦ない攻撃とヨルダン川西岸地域の支配を通してのパレスチナという“自国の安全保障の最大の敵であり、自らの生存の最大の脅威”を葬り去るという決意に現れ、力によりアジア・南シナ海沿岸を自国のsphere of influenceに染め上げようとする中国の狙いとして表れています。
そしてそれらすべてが核保有国であり、それと対峙するのもアメリカや英国、フランスといった核保有国です。そしてインドやパキスタン、さらには北朝鮮が両ブロックの隙間で不安定要素として存在するのみならず、次第に力をつけて国際情勢の趨勢に影響を与え始めています。
負の力の均衡が核兵器の存在において行われており、それを核抑止の“成果”という専門家も多々いらっしゃいますが、湯崎広島県知事の挨拶にもあったように、核抑止も戦後80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続きの意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。
以前、何度か核兵器の開発に携わる科学者たちと議論する機会があり、その際に明かされた“本当の気持ち”を思い返し、ちょっとぞっとしています。
「人間が作り出した自らを種として破滅させるための最初で最後の兵器が核兵器だ。自らの知見がこのような地獄の兵器を作り出したことに対して、言葉では言い表されない罪の意識と後悔を感じざるを得ないが、正直なところ、『作り出したものがどれほどのものなのかという成果を目にしてみたい』という抗しがたい欲求があることは否定できない」というものでした。
それを軍の当事者やリーダーたちが明かしてくれた“本心”と合わせてみると、非常に恐ろしいことが想像できます。
「これらの究極手段を使ってはいけないことは頭でも心でも理解している。自分が生きている間はもちろん、その先の何世代にもわたって、これらが使われることが決してない、ただの象徴でありつづけるように最善を尽くすことが使命だと感じている。しかし、実際に使うことができるものを持っているという現実は、同時に、何かの機会に使ってみたい、いや、使わなくてはいけないという欲求が沸き起こることに繋がることを認識させる。国家を守る、国家を預かるというのは、そういうことなのではないかと考える」
これらの心の中のジレンマが、これまでは良い方向に傾いていてくれたから、戦後80年において核兵器は使われずに済んでいると思われますが、それでもベトナム戦争しかり、朝鮮戦争然り、数度にわたる中東戦争然り、そして中東を混乱に陥れた湾岸戦争や、アフガニスタンにおける20年にわたる戦い、そしてミャンマー内戦、アフリカ全域で続く数々の内戦と紛争など、戦争を防ぐことはできていません。
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