「フィクション」であることが見えてくる核抑止論
そして“脅威”を理由に核兵器と兵器システムも拡充されていきます。
ロシアは核兵器のアップデートを行い、それを実戦配備する予定ですし、中国は毎年100発以上のペースで核弾頭を増強し、アメリカも新型の核兵器(B61-13とB62-12など)を開発し、近日中に配備される予定になっています。
そして英国は本土にアメリカの核を再度配備していますし、英仏は“欧州の核の傘”としての核戦力の拡充に舵を切っています(英国はジョンソン政権時に核弾頭の増強に言及しています)。
そして北朝鮮は、これは推測に過ぎませんが、対ウクライナ戦への参戦とロシアへの武器提供などの見返りに、ロシアから核兵器関連技術とノウハウを得て、同じく獲得する弾道ミサイル技術と合わせて、核兵器の運用能力を高めています。
イランの核保有の有無と可否が、もしかしたら核兵器の終わりなき拡散と拡大を左右する最後の砦かもしれませんが、核不拡散を取り決め、イランも参加するNPTも、核の平和使用の番人たるIAEAも、イランを含む各国に核の平和利用のためのウラン濃縮は禁じていないため、“平和利用”との主張がなされる限りは、法的にイランなどを止める理由はないとも言えるため、現在行われている欧米諸国によるイランへの圧力の増大は、イランの核開発を急がせる危険な要素になってきているような気がしてなりません。
「核兵器が存在することにより、世界平和が保たれた」という核抑止論は、いろいろな要素が背景に存在して成り立ってきた考えですが、そのバックにある諸々の現実は必ずしも核兵器の存在を必要悪とする基盤とはなっておらず、あくまでも意図的に増幅された脅威の強調と、“だれか”の利害によってクローズアップされて本当のように信じられている幻想であり、そしてフィクションであることが見えてくるかと思います。
以前、どなたから教えていただいた表現に、「戦争とは、爺さんが始めて、おっさんが命令を下し、若者たちが死んでいくもの」というのは、現在の状況を見事に言い当てていると思いますし、まさにこれが今、世界で、そして紛争の最前線において起きている悲しい現実であると考えます。
日曜日は長崎への原爆投下から80年の節目を向かえ、来週15日には終戦80年を迎えます。そして世界に目を向けると9月3日には、中国・北京で対日戦勝80周年が祝われることになっています。
先の世界戦争から80年経った今、世界は平和で安心できる場所になるどころか、いつ再び世界戦争の惨禍に見舞われるか不安に感じる時代になっているように思います。
広島および長崎への原爆投下から80年。
被爆者の皆さんが身をもって世界に訴えかけてきた核兵器廃絶の必要性と願いの実現はもちろんのこと、皆さんが身をもって世界に示してきた「報復の連鎖を断ち切ることの重要性」を今、私たちは認識し、戦争の背後にある幻想を打ち払い、国際協調を取り戻すために力を併せることが必要であると、強く訴え、私自身も心血注いで平和と安心の実現のために働きたいという決意を述べて、今週号のコラムを終えたいと思います。
以上、今週の国際情勢の裏側のコラムでした。
(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2025年8月8日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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