「そんな事実はない」と切って捨てた森喜朗のウソ
では、NYタイムズの報道内容を確認しておこう。以下は、長文記事のごく一部である。
CIAは日本を反共の砦とすべく1950年代から60年代にかけて、自民党と党幹部に数百万ドルの資金援助を行っていたことが、情報機関の元高官や外交官らの話でわかった。
1955年から58年にCIAの活動の責任者だったアルフレッド・ウルマー・ジュニアは語る。「我々は自民党に情報を依存していた。CIAは自民党を支援するとともに、党内の情報提供者を雇うために資金援助した」。
ケネディー政権で国務省情報部門のトップを務めたロジャー・ヒルズマン。「自民党と政治家への資金提供は60年代初めまでに定着し日常化していた。極秘対日政策の基本部分だった」。
66年~69年の駐日大使アレックス・ジョンソン。「米国に味方する政党を支援したということだ。私が69年に日本を去り、国務省に移った後も資金援助は続いた」。
日本の高度成長がピークに達し、日米の貿易摩擦が問題となる1970年代初めに秘密資金援助は打ち切られたようだ。
70年代から80年代初めに東京に駐在した元CIAメンバーは言う。「CIAは長年の協力関係を利用し、あらゆる省庁に協力者を得て伝統的な情報活動を行った。首相の側近をリクルートし、牛肉、オレンジの市場開放交渉では、日本側の交渉の落としどころまで掌握していた」。
自民党への資金援助をやめたあと、CIAは日本の政官界での情報収集活動に重点を置いていたことがうかがえる。
この記事について、当時、日本の国会でどんな質疑が行われたかを見てみよう。1994年10月12日の衆議院予算委員会。民主党の伊藤英成議員と河野外相とのやりとりの一部だ。
伊藤議員 「ニューヨーク・タイムズに掲載された1950年代から60年代にCIAが自民党に資金援助をしていたことについての記事について今後調査をさせるつもりがあるか」
河野外相 「ニューヨーク・タイムズから、あの記事を掲載する前に問い合わせがあり、党の事務局で調査をした。しかし証拠となるものはなく、ニューヨーク・タイムズに対して、こうしたことは一切ないと明確に返事をした」
当時の森喜朗・自民党幹事長も「そんな事実はない。迷惑な話だ」と切って捨てた。しかし、実のところ自民党は危機感を深め、モンデール駐日米大使に河野総裁自ら隠蔽工作を行っていた。そして、そのことが米公文書に記録されていたというのが、西日本新聞の記事の要点だ。
河野氏が公開しないよう求めたという「CIA資金提供に関する公文書」がどのようなものかは、この記事ではわからない。ただ、94年10月10日に河野氏がモンデール大使と極秘に会談したことを、その1か月後に産経新聞が報じ、朝日新聞が後追いしている。
産経の記事によれば、河野氏は会談で「日本では政党が選挙のさい外国から資金援助を受けることが禁じられている。今回の報道は自民党にとって重大な問題になりうる」と述べ、今後大使館に照会があった時は「インテリジェンスに関するものでありコメントできないという線で回答してほしい」と要請している。
今回見つかった米公文書はおそらくこの極秘会談についてCIA東京支局が記述したものだろう。CIA資金提供に関するコメントを拒否すること。関連文書についても公開しないこと。そのような要請が河野氏からモンデール大使になされたことになる。
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