深刻な政治的分断を抱えながらも、好調を維持するアメリカの株価。その一方で、経済のバブル化を懸念する声が聞かれるのもまた事実です。果たして米国経済は今、どのような状況に置かれているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、その「現在地」をさまざまな側面から分析・解説。さらに「今後の政局の軸」についても考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:米国経済の現在地を確認する
新卒世代がさらされている「就職氷河期」。米国経済の現在地を確認する
日本もアメリカも政治の分断と不安定化が進行している中で、社会の方向性を決定づけるものは経済であると思います。そして、経済も極めて不安定化しています。政治に関しては左右のポピュリズムが全体を流動化させているという点で、類似点、あるいはアメリカから日本への影響が指摘できると思いますが、経済に関しては全く構造が異なります。
その中で、今回はアメリカ経済の現在地を確認しておこうと思います。まず株価ですが、ダウは46,000、NASDAQは22,750、S&Pは6,690で、いずれも史上最高値です。つまり株としては高値圏にあります。一時期には、テスラが国外不人気のために低迷していましたが、マスクが獲得した高報酬を使って自社株買いをした結果、再び400ドル台に戻しています。
また、AI関連では、GPUの大手NVIDIAの場合などは、AI株の一巡感から調整が入ったものの、改めて株価を戻して高値圏に来ています。そんな中で、本日は、OpenAIとの協業も発表されており、市場は好感しています。
というわけで、まず株は非常に強いわけです。では、景気は強いのかというと、これは強弱が交錯していると考えられています。まず、市中のキャッシュということでは、依然としてコロナ禍のバラマキ以来の金余りという現象は続いています。また、株高を反映してテック関連、金融関連などの高度専門職の購買力、購買意欲は強いようです。
一方で、景気に陰りがでているという見方も多く、その根拠としては労働市場の後退があります。ここ数ヶ月、雇用統計は一転して悪化を続けており、過去の労働統計の下方修正も行われています。現象面では、新規大学卒の世代が「就職氷河期」のような厳しい状況にさらされています。
原因としては、どうやらAIの実用化が雇用を直撃しているという見方が説得力を持ってきています。例えば金融におけるデータ処理、それこそ世界中の上場企業が出す経営資料を分析して報告書にするとか、株の売買の根拠となるデータへと加工するといった仕事は、膨大なマンパワーが必要だったのがAIによる省力化が進んでいます。
同様に、アメリカでは非常に大きな労働市場である法務関連における、文書作成業務というのもAIが入り始めています。一番影響が大きいのが、コンピュータソフトの分野で、1年前までは人間のプログラマーが、AIによるプログラミングを補助的ツールとして使っていた感じですが、現在は初級のプログラマー職はAIに置換されつつあります。
ということで、90年代から2010年代にかけては、小売やサービス、在庫管理、生産管理といった「モノとデータの媒介」の部分がDX化されていって、巨大な雇用が消滅したわけですが、今回はその次の段階に来ているわけです。つまり、データからその加工へ、データから文章化へという、従来は人間がやっていた業務をAIが進めるようになっています。
そのために、初級から中級の知的労働がどんどん人間からAIに置き換わっているわけです。そんな中で、最も初級の労働である新卒のオフィスワークというポジションが、非常に狭い門になってきています。雇用統計に関しては、政府ですら正確な追跡ができていないですし、連銀(FRB=中央銀行)にしても、決定的な見解を持っているわけでもありません。
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トランプ「金利引下げ固執」の裏に潜むインフレへの恐怖
ですが、景気全体が後退しているのではないようで、企業に関しては将来価値ということを考えると、特にテック関連については、まだまだ強気、その一方で初級の雇用だけが、厳しくなっていると考えられます。
問題は、こうしたトレンドに対する政府の対応です。現在の共和党政権が手掛けている、2つの政策、製造業の国内回帰と、移民抑制については、とりあえずこのような全体状況を踏まえた対策であることは間違いないと思われます。
まず移民抑制ですが、これまでの不法移民の摘発や海外ジャーナリストへの圧力といった行動は、政治的なシンボルと言う意味合いが強かったと思われます。ですが、今回出てきた「H1ビザの発行手数料を15万ドル(2,250万円相当)」という政策については、唐突でありまた無茶な印象がありますが、ある意味では理にかなっている面もあります。
つまり、テックの初級職、特にプログラマーについては、AIによる急速な省人化が進行中です。そんな中で、人間でもペイするような職種というのは、現状ではインドを中心とした準英語圏の人材の方が労働市場での競争力があります。その一方で、国内人材に関しては「就職氷河期」状態になっています。ですから、移民人材にはビザ手数料というペナルティを企業に課すことで、国内人材の採用を強く促進する、これが狙いであると思われます。
ある意味では、現状の問題点に対して即応したタイムリーな施策であり、まさに「Z世代の保守化」を受けた支持固めと一石二鳥という狙いがあると考えられます。
一方で、もう1つの施策である製造業の国内回帰については、政権としては時間はかかるものの、関税で輸入を締め付けつつ、同じく「H1ビザを手数料で絞る」中では、製造業の現場における国内人材の活用が可能という目論見だと思います。
問題は、国外移転して空洞化した製造業を国内に戻すには、関税と移民ビザの対策では十分ではないということです。まず、人材そのものが足りません。次に価格の問題ですが、一旦は関税を価格転嫁させてインフレにして、次に国内生産に切り替えると価格が下るというような演出をしたいのでしょうが、そうはならないということです。
まず、国内生産の場合は人件費は相当に上がります。また、ラストベルトの場合は、「良き時代」とは産業が繁栄しただけでなく、労働者が誇りを持っていた、つまり組合を通じて経営側にも、政治にも影響力を持っていた時代の記憶があるわけです。人件費だけでなく、労働内容の柔軟性などについて、アジア圏の製造拠点を上回る生産性を獲得するのは難しそうです。
何よりも、国内に製造業を持ってくるのには数年かかる中で、需給のインフレに加えて一時的であるにしても関税インフレが乗っかると、政治的には苦しくなります。トランプ大統領が異常なまでに金利引下げに固執しているのは、関税インフレを帳消しにできるぐらいの金融緩和を継続したいからです。
一方で、FRBのパウエル議長は、仮にそのような利下げで物価高を打ち消すだけの景気過熱を演出したら、クレカ貸出残などのバブルが膨張して、経済の大きな破綻が生まれる、などの懸念があると思われます。これはどちらが正しいという議論ではなく、実務的に調整して合理的な落とし所を見出すべき性格の問題です。ですから、それができない政権周囲の経済専門家に責任があると考えます。
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「クレジットカード」と「不動産」という二重のリスク
では、今のアメリカの景気は危険なバブルなのかというと、そこまでは行っていないようです。その一方で、弱点があるとしたら、やはりコロナ禍以来の加熱した部分だと思います。問題は2つあり、1つはクレジットカードの貸出残高で、どう考えても危険水域に入っています。
ですが、クレカに関しては各銀行共に、90年代から巨大な経験の蓄積があります。ですから、不良な貸出を判定する方法論も、またリスクのある債権を転売するノウハウも、またあえてリスクを取って債権を集めるなど非常に高度なことをやっています。そして、全体の金融の構造として、例えば2007年から08年のサブプライムローンのような、無理な貸出を重ねたり、債権を細切れにして悪どく転売したりという状態にはありません。
ですから、恐らくは全体が貸出過剰になって、金融システムが動揺する前に、個々人の破産が先に来る、つまり実体経済の景気後退があっても、金融システムは守られるのだと思われます。
もう1つのバブルは不動産です。ここへ来て、個人向けの住宅バブルはやや沈静化しています。高度専門職の夫婦が、テレワークを前提に郊外に「書斎の2つある物件」を買っていく勢いはかなり下がっています。ターゲットになる物件も、買える範囲で十分に上がり、購買力との均衡点に来ているようです。
一方で、問題は大都市のオフィスです。大都市のオフィスは複合的な要因が重なっており、一種のバブルのような状態になっています。その複合要因というのは、以下のような個別の問題です。列挙してみます。
例えば、サンフランシスコのように、治安が極端に崩壊した都市ではオフィス不動産の価格も崩壊しています。サンフランほどではないですが、シアトルのダウンタウンもかなり軟化しています。
NYの場合は、コロナ禍前後に乱開発が進みました。巨大なガラス張りの摩天楼を含めた大規模開発が、グラセン、ハドソンヤードなどどんどん竣工したことで、こうした新規物件は入居が進んでいます。
ただ、労働者との力関係で各企業はテレワーク「根絶」に失敗しています。ですから、オフィスの需要は爆発的には戻っていません。この間の新規物件竣工による増床分を、需要が埋めきってはいない状態です。
加えて、治安の回復もスローなため、オフィス空室率が高止まりとなっています。コロナ禍をまたいで増加しており、22年以降13.5%程度で停滞し、改善の兆候がありません。このため22年をピークに価格が下落しています。前述の2つのプロジェクトなど魅力的な新規物件はかなり入居があるようですが、古い物件の稼働は低迷しています。
更に、アメリカの場合は、これは全国的な傾向と思いますが、リアル店舗の衰退が非常に顕著です。サンフランシスコは極端な例ですが、ダウンタウンの大型店舗やモールは壊滅。ニューヨークの場合も、伝統的な百貨店やモールは全く不振ですし、オフィス入居で成功している巨大物件でも、低層階の小売は上手く行っていません。
ただ、とにかく都市の巨大開発にしても、需給がハッキリ出てしまっているので、ダメなプロジェクト、ダメな物件は可視化されています。また、特にリーマンショック以降は金融機関のリスクヘッジのノウハウが優れているので、仮に不動産市況が大きく崩れても、そのまま金融危機になる可能性は少なそうです。
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暗殺されたカーク氏が人気を集めていた背景にある問題
では、アメリカ経済の一番の問題点は何かというと、これはやはり格差であり、特に現在進行形での「Z世代の就職難」ということになると思います。これは、新卒だけでなく、既に数年前に就職している層も、あるいはコロナ禍前にキャリアをスタートしている層も、同様に困難に直面しています。
シリコンバレーの大手が、基本的にリストラを嫌うアップルを除いて、各社ともに大規模なリストラを数度にわたって実施しています。そのターゲットですが、アメリカの場合は「働かない高齢で高給の人」というのは少ないので、基本的には「効率化により2人ではなく1人で回る部分では1名を削減」というような形で、下級職から順に切っているというケースが多く見られます。
ということは、30歳前後のグループというのが、非常に難しい立場に立たされています。24年の大統領選におけるZ世代の右傾化であるとか、今回暗殺されたチャーリー・カークへの人気といった政治的な現象の背景にはこの問題があります。また前述したような移民ビザの手数料アップというのも、こうした情勢をベースにしたものです。
では、このままZ世代の困窮が続き、彼らは現状不満から右傾化していくのかというと、これがまたそうとも言い切れないのです。好例が、先ほど不動産の状況を説明したニューヨークの場合です。
ニューヨークでは、1ヶ月半後の11月に市長選が迫っています。4名の候補が乱立していますが、その中で一歩リードしているのが、ゾーラン・マムダニ候補(民主)です。インドルーツのウガンダ系で、帰化してまだ7年、ウガンダとの二重国籍の33歳です。
そのマムダニ候補は、社会主義者を自称して、市バスの無料化、託児所の無償化、そして食品スーパーの公営化による卸値での販売などを公約しています。また中東情勢では、明確にパレスチナの側に立っているばかりか、本人がイスラム教徒でもあります。
一番大きな公約は、社会主義の考え方から「億万長者の存在は認めない」として、NY市内の富裕層には「懲罰的な課税」を示唆しています。これを受けて、NYの富裕層は、「マイアミに逃げたいが、右翼ばかりなのでイヤ」ということで「いっそ中立州でまだ話の分かりそうなオハイオに逃げよう」などという話が出ているほどです。
このマムダニ候補の旋風ですが、若者がルームシェアしつつキャリアのスタートに立っているケースの多い、マンハッタン区、ブルックリン区で圧倒的な強さを誇っています。AIにより職を奪われる恐怖、結局は富裕層だけが勝ち逃げる社会への強い反発が、彼を希望の星にしているわけです。
ですが、仮にマムダニ氏が当選して、NY市政を左にシフトした場合には、ただでさえ伸び悩んでいる不動産業界は大きな痛手を被ることになります。そんな中で、中道派の候補たちさえもが、トランプ政権に接近して「マムダニ当選の場合は、懲罰的な政策を」行うよう持ちかけて、市政を妨害するような取引をしている状況です。
これを受けて、大統領周辺では「社会主義の市長が誕生した場合には、連邦からの補助金を思い切りカットする」という脅しを始めています。これもまあ想定内といえば想定内なのですが、経済と政治の接点として、恐らくこの11月のNY市長選は、大きな分岐点になるかもしれません。
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「雇用を守るAI規制」か「製造業回帰」かという重大な選択
仮にマムダニ氏が勝利して、一気に民主党の左派が勢いづいたとして、例えばですが、「雇用を守るためのAI規制」を強烈に押し出したとして、アメリカの世論はどう反応するのかというと、これは賛否両論になると思います。
その場合ですが、保守の側は「AI開発は進める。そこで失われる雇用は製造業が吸収する。そのために関税政策と移民抑制で製造業を中心とした雇用を増強する」ということになります。一方で、リベラルの側は「AI開発に一定の規制をかける。また格差拡大には強烈な課税と再分配で対処する」ということになると思います。
2015年以来、アメリカの政局は厳しい分裂の中で推移してきましたが、価値観論争とか、MAGA派がどうとかいうのは、あくまで序曲に過ぎないと思います。この「AI開発+製造業回帰」なのか「規制と課税と再分配」なのかという選択といいますか、対立軸というのは、最も重要な論争になると思います。
気がつくと、左右両派ともに「グローバル経済への最適化で、アメリカは知的産業のチャンピオンに」という1995年以降のサクセスストーリーを否定しつつあります。知的産業しか残らない社会で、その知的産業すらもAIに侵食される時代への絶望と不安、怒りをどう吸収するか、経済こそ政治の根幹であり、以降の政局の軸になると思います。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2025年9月23日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。人気連載「フラッシュバック80」、読者Q&Aコーナー(QRコード問題、自民党総裁選)もすぐに読めます。
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- 【Vol.605】冷泉彰彦のプリンストン通信 『米国経済の現在地を確認する』(9/23)
- 【Vol.604】冷泉彰彦のプリンストン通信 『アメリカ、分断と経済のカオス』(9/16)
- 【Vol.603】冷泉彰彦のプリンストン通信 『日本の政局を判断する三重の視点』(9/9)
- 【Vol.602】冷泉彰彦のプリンストン通信 『戦後80年と「9月3日問題」』(9/2)
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