高市早苗の失脚も麻生太郎の終焉もすべて必然。小林よしのり氏が語る「愛子天皇」実現へと向かう“時勢”の流れ

 

問題は、その優柔不断な態度が最近ネットでボロクソに叩かれている玉木に、首相を引き受ける決断ができるか否かだ。

何しろ党として山尾志桜里を公認するかどうかというだけのことで、世間の批判にあんなに怯えまくって、なりふり構わず彼女を排除したほどのヘタレなのだから、ここでリスクを取る度胸があるかどうかはやや疑わしい。

だが玉木も一度は意欲を示した以上、ここでやらなかったら、やっぱりいざとなったら日和って逃げる奴だという評価が定着してしまって、もう決して次のチャンスはない。

時勢によって否応なく、時代を先に進めるためのある役割が自分に回ってきてしまうということはありうるし、そうなったらもうどうしようもない。そこで無理やり時勢に逆らっても、それは自分を貶めることにしかならないのだ。

たとえ嫌だったとしても、自分に与えられた役割は引き受けるしかない。その結果失敗することが見えていたとしても、もはやそれすら関係がない。その巡り来た状況をどのように政治に取り入れるか、どういうふうにバクチを打てるかというのが政治家の器量というものだろう。

わしは玉木なんか本当は大嫌いなのだが、時勢がそうなったら仕方がない。そろそろ政権交代だという時代が来て、その役割が玉木に降ってきちゃったのだから、しょうがないのだ。

そもそも玉木はキャスティング・ボートを握ることを目標にして国民民主党を率いてきたはずだ。

それがいざ実際にキャスティング・ボートを握れるところに来たら、急に怯えて逃げ出したとなれば、とてつもない臆病者・卑怯者ということになって、国民民主の支持率も激減してしまう。だから、もうやるという選択肢しかない。

そんな責任重大な事態に直面したくないというのなら、政治家にならない方がよかったし、ましてやキャスティング・ボートを握る政党を作ろうなんて考えてもいけなかったのだ。

キャスティング・ボートを握れるかどうかは、「機を見るに敏」であるかどうかにかかっている。いざという時を逃さず権力を取りに行き、また逆に、ヤバイとなったらすかさず離脱するものなのだ。

その点でいえば、今回の公明党は見事だったと言える。26年間も自民党と連立を組んで、与党の甘い汁が吸いたいから何があっても自民から離れられないだろうと誰もが思い、「下駄の雪」なんて揶揄されて、永遠の愛人みたいな感さえあったのに、それが急転直下、すっぱり離脱したのだ。

そこで今度は玉木の度胸が問われる番だ。その時が来たのだから、もう首相になるしかない。

ここで政権交代さえ成し遂げて首相になってしまえば、玉木の株はその時だけでも爆上がりになる。たとえ短命政権に終わって、何もできずに最後はボロボロになったとしても、名前だけは残る。32年前に8党連立政権に担がれて初めて自民党を下野させた細川護熙のように。

そういえば、細川は「朝日新聞を読んで自分の考えを決める人」と言われていたらしい。玉木は「Xを見て自分の考えを決める人」なのだから、担がれるにはちょうどいいのではないか?

いざ首相になってしまえば個人の権力がものすごく強くなってしまうから、いまは怖気づいている玉木も、そのうちすっかり調子づいてくるだろう。

そうして玉木が図にのってやりたい放題やり始めれば、立民が不満を持ち始めて内紛が起き、たちまち玉木政権は崩壊する。そうすれば次の首相は立民から出ることになるだろう。

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