小林よしのり氏が決めた覚悟。「愛子天皇」の実現を邪魔立てする“男系派ゴリゴリ”高市政権に突きつける“宣戦布告”

 

「自社さ政権」を思い出させる自民と維新の連立

ことここに至って、ついにネトウヨも玉木を完全に見限ったらしく、Xでは「玉木る」というネットスラングが急速に広まり、大きな話題になったという。

ネット内の定義によると「玉木る」とは「いいとこまで行くけど、最後に丸見えの地雷を周りから注意されても踏むこと」だそうで、ここぞという場面で誰の目にも明らかな判断ミスをして、手中にしかけたチャンスを逃してしまうという玉木の行動パターンを象徴的に表している。

もはや玉木に対しては、真面目な批判よりも揶揄・嘲笑の方が目立つような状態らしい。これで玉木は完全終了!国民民主党ももう長くはないだろう。

玉木はせっかくのチャンスを「玉木って」、全て逃してしまった。玉木がタマ切ったんだからしょうがない。タマキン切った玉木は首相にもなれず、支持者にも見放されて、次の選挙じゃボロ負け確実という状況になってしまった。

「チャンスの女神には前髪しかない」という古代ギリシアのことわざがある。一度逃したチャンスは、後で追いかけても決してつかめないものだ。

本当は政権交代が時勢だったのに、玉木は自民党の生き残り戦略に手を貸しただけに終わってしまった。本当にバカな男である。あまりにも酷くて、もう笑っちゃうしかない。もはや玉木がこんなザマになったということが今回一番面白く、ある意味痛快だったとも言える。

自民と維新は連立に正式合意、このライジングの配信日にも臨時国会が召集され、高市早苗が首相になる見込みとなった。しかも、衆院ではこれにあと2議席も加えれば与党が過半数に到達してしまう。

その上、維新と組んだのは自民にとってものすごいプラスとなる。維新代表の吉村には、若く清潔で誠実そうなイメージがあるから、自民党の悪党揃いのイメージが緩和されてしまうのだ。

もうコロナの時の「イソジン吉村」のことなんか人は覚えちゃいないだろうし、万博を成功させたというのも大きい。自維政権は相当に好感度が高くなるだろう。

それは31年前の「自社さ政権」を思い出させる。首相に担いだ社会党の村山富市も、新党さきがけ代表の武村正義も、いかにも善人そうな風貌をしていたから、それによって自民党の悪印象を弱め、政権のイメージアップに成功していたのだ。その点、自民党は自分が延命する術だけには非常に長けている。

一方の維新は議員定数の削減とかいろいろ条件を飲ませ、自分を高く売りつけて与党入りしたつもりだろうが、そういつまでも上手くは続かない。それは、社会党の末路を見れば明らかである。

自民党は昭和30(1955)年の結党以来、常に単独政権を維持していたが、平成5(1993)年、初めて下野した。

この年に行われた衆院選で、前熊本県知事・細川護熙が結成した「日本新党」を始め、自民党を離党した羽田孜のグループによる「新生党」や武村正義らの「新党さきがけ」が大躍進。とにかく「新党」であれば議席が取れるという風潮は、この時に始まったものだ。

この選挙で自民党は過半数を割り、3新党と社会党・公明党・民社党・社会民主連合・民主改革連合による「非自民・非共産」8会派の連立政権が発足し、細川が首相に就任。 発足当初の支持率は71%にも達した。

だが8会派の寄り合い所帯は最初から矛盾を抱えており、中でも日本の「社会主義国化」を掲げ「非武装中立・自衛隊違憲」を党是とする社会党と、他党との隔たりは大きかった。

そんな中、政治資金問題を追求された細川が、首相就任からわずか9カ月足らずで突然政権を投げ出した。

次の政権は「非自民・非共産」の枠組みを継いで羽田孜が首相となったが、それまでのゴタゴタもあり、社会党は連立政権から離脱。羽田政権はたった2か月の短命に終わった。

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