天皇陛下が語られた「ゆかり」
2001年12月23日、日韓共催サッカーワールドカップを翌年に控えた直前の天皇陛下(現上皇)が、誕生日会見で述べられた言葉を鮮明に覚えている。ニューヨークタイムズ取材記者(フリー契約後)として取材していた筆者は、日本で天皇の言葉を割愛するというメディアの「不敬」もあり、しっかりと記憶に残っている。少し長くなるが、さらなる憶測を呼んで、誹謗中傷が広がらないためにも陛下の直接のおことばをそのまま掲載しておこう。
日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
この発言は、海外で大きな反響を呼んだ(前述したように日本ではメディアがこの部分を割愛したためほとんど知られていない)。天皇家と朝鮮半島の歴史的つながりを、陛下ご自身が公の場で語られたのだ。それは、日本の最も象徴的な存在が、「純日本人」という幻想を静かに否定した瞬間でもあった。
1,200年以上前、朝鮮半島からの渡来人の血が皇室に流れている――この歴史的事実を、SNSなどで誹謗中傷を繰り返す者たちはどう受け止めるべきか。天皇家でさえ多様なルーツを持つと自ら宣言しているのに、なぜ一般の人々が「純日本人」にこだわる必要があるのだろうか。それこそ不敬に他ならない。
「在日」という言葉の暴力性
「在日」――現代日本では、この言葉がいつの間にか差別の符牒になってしまっている。本来は単に「日本に在住する」という意味のはずが、特定のルーツを持つ人々を排除する言葉として使われているのだ。
不思議なことに、在日アメリカ人や在日フランス人、在日イギリス人に対して、同じような差別的態度は示されない。むしろ「国際的」「グローバル」と好意的に受け止められることさえある。なぜアジア系(中東・アフリカ系なども)のルーツを持つ人々を中心に、こうした冷たい視線が向けられるのか。
背景の一端には、日本の戦前・戦中の歴史と戦後処理の不完全さがあるといえるだろう。1910年の韓国併合から1945年の敗戦まで、朝鮮半島は日本の植民地だった。多くの朝鮮人が労働力として日本に渡り、日本で生活し、日本で新しい家族を持ち、日本で人生を終えた者もいる。敗戦後、サンフランシスコ講和条約などにより、彼らの一部は日本国籍を剥奪され「外国人」とされた歴史もあった。これは一例にすぎないが、避けられない事情で「在日」となっている日本人も少なくない。
三世代、四世代と日本で生きてきた人々が、「在日」とされて差別の対象にされてしまう。この歴史的不正義を、私たちは正面から向き合ってきたかといえば疑わしいのではないだろうか。
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