日本の文化を支えているのは誰か
皮肉なことに、日本の芸能界、スポーツ界、ビジネス界は、いわゆる「帰化日本人」や外国ルーツを持つ人々の活躍なくして成り立たない。
たとえば、プロ野球には在日コリアンの選手が数多くいたし、いまも少なくない。国技である大相撲でもモンゴル出身力士が席巻しているし、かつては朝鮮出身、中国出身、米国出身(ハワイ州)の関取が少なくなかった。音楽界、芸能界には多様なルーツを持つスターたちがいるし、とくに在日朝鮮人の存在なくして現在のテレビ業界は成立しえない。IT業界やスタートアップの世界でも、外国人起業家や技術者によって日本経済が支えられている。
K-POPの世界的な成功に憧れる日本の若者たちは、その背後に在日コリアンの音楽プロデューサーたちの貢献があることを知らないのかもしれない。日本の音楽シーンを切り開いたアーティストたちの中には、朝鮮や中国を筆頭に多様なバックグラウンドを持つ人々がたくさんいる。
つまり、私たちの誇る「日本文化」は、実は多様なルーツを持つ人々が織りなす、極彩色のタペストリーなのだ。
ジャーナリストとして問う
この問題を看過できないのは、ジャーナリストとしての使命感からということもある。「自ら選択のできない境遇に対する差別は決して許されるべきではない」。これは、ニューヨークタイムズ時代に学んだジャーナリズムの鉄則のひとつである。取材に差別を持ち込んでいけないのは当然のこと、そうした差別については、是正のための報道を躊躇すべきではないと徹底的に教え込まれた。
桜井弁護士は番組で「日本に住む全ての外国人の小さな子どもたちを守りに来た」と語った。それに対し「なぜ日本人の子どもを優先しないのか」という批判が殺到した。だがそもそも、子どもの人権に国籍による優先順位をつけること自体が許されていいとは思わない。
弁護士である彼は、法の下の平等という憲法の理念を実践しただけだろう。彼に対するSNS上の誹謗中傷では、櫻井氏は日本人よりも外国人を優遇していると批判を受けているが、彼はそんなことは言っていない。それを「反日」と罵る方こそ、日本国憲法の精神を理解していないのではないか。
民主主義社会において、ジャーナリズムの役割は多様な声を届けることだ。心地よい意見だけを聞いていては、社会の問題は見えてこない。だからこそNoBorderは、異なる意見を持つゲストを招き、時に激しい議論を展開している。








