いま、フリーランスのライターや編集者の周りで、静かに、しかし確実に“地殻変動”が起きています。「誰でも発信できる時代」になったはずが、逆説的に「文章で食べていけるのはごく一握り」という環境が、生成AIの登場によって出来てしまいました。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では著名エンジニアで投資家の中島聡さんが、この変化をどう捉え、どこに活路を見出すのかについて考えています。
ライター稼業、ロングテール、レッドオーシャン
執筆業に関して、それなりに活躍している二人の方が、その厳しさをXで語っているのが目に留まりました。
ライター稼業の整理、ということをこの1年でものすごく考えるようになった。私を必要としてくれる人はいるにはいるが、彼らの提示するギャラでは全く生きてはいけない。ライターというものが、出版界において「別に本業のある方か、主の収入がある方のやること」になっていると本気で思う。最近会った編集者たちに「ライターが記事書きだけで人並みに食っていけると思う?」と聞いて、肯定した人はいなかった。もうクオリティで値段は払ってもらえない。(白央篤司氏、参照)
ここ2、3年、40代以上のフリーランスライターや編集者で、執筆業や編集業を廃業もしくは副業化する人が増えたように感じる。原稿料や編集料だけでは到底食えないからだ。要は、テキストメディアの経済がまともに回っていない。だから、答えが知りたい。それでもテキストメディアが存在する意義を。本というものが、文化的な意味だけでなく、経済的な意味でも存在が許されるのかどうかを。何か大事なものが、掬め取られてしまう前に。稲田豊史氏、参照)
私自身も、半分は執筆業のようなことをしていますが、新聞・雑誌・ウェブメディア向けの執筆は単価が安すぎて全くビジネスにならず(大手新聞社のウェブメディアで、記事一本一万円程度)、書籍に関しては、よほどのベストセラーを出さない限りは労力に見合いません(初版五千部程度のビジネス書であれば、印税は80万円程度)。
根本の原因は、出版ビジネス全体の縮小にありますが、それを置き換えると期待されていたウェブ・メディアのビジネスが、既存の出版ビジネスを置き換えるほどの成長していないのが難点です。Facebook、Instagram、X(旧Twitter)などの広告ビジネスは順調に成長していますが、それらは「執筆業」を営むようには設計されていません。
メルマガ、Medium、Note、Substackなどの「個人ジャーナリズム」を可能にするサブスクリプション・ビジネスも複数、誕生していますが、そこで稼ぐには、自分自身でマーケティングを行う必要があり、多くの執筆家はそこで挫折してしまうようです。アクセスの容易さゆえに、競争が激しく、結果として、「ごく一部の人たちだけが沢山稼ぎ、大半の人はそこでは食べていけない」、ロングテール型のレッドオーシャンになってしまっているのです。
この記事の著者・中島聡さんのメルマガ









