戦後日本のジャーナリズム史に、ひとつの濃い影を刻んだ男。NHK会長として「エビジョンイル」と揶揄され、巨悪の象徴のように語られることも少なくなかった海老沢勝二氏が先日亡くなりました。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では辛口評論家として知られる佐高信さんが、ノンフィクション作家の小俣一平氏が語る海老沢氏の人となりを追悼として紹介しています。
追悼譜 海老沢勝二
坂上遼こと小俣一平と、どういうキッカケで知り合いになったのか記憶にないが、いまも人なつっこい笑顔で語りかけてくる。
NHKの社会部記者から転じて東京都市大教授となり、弓立社という出版社の社長もした。
私より5歳下の大分県生まれ。
NHKでは検察に食い込み、ロッキード疑獄を解明した吉永祐介の知遇を得る。
NHKを離れたのは海老沢が会長の座を追われたからである。
大鹿靖明編著の『ジャーナリズムの現場から』(講談社現代新書)で小俣が語る。
「実は私はね、海老沢派なんです。『エビジョンイル』などと言われて巨悪のように見られている海老沢さんだけど、素顔は全然違う。
『エビジョンイル』というステレオタイプの報道が、悪いイメージを作り上げてしまった気の毒な面があります。
だって海老沢さんは『俺はでかくて、ハゲで、この風貌だから損している』とよく自分で笑いながら言っていました。
素顔の海老沢さんは、実に太っ腹な、愉快なオヤジという感じ。まあ気が短いところはありましたが」
NHK内の権力闘争で島桂次に追われ、一時、海老沢さんはNHKエンタープライズに移された。
その後、島が失脚し、芸能畑の川口幹夫が会長となって、海老沢は副会長に復帰する。
当時“ワンマンの島、エンマン(円満)の川口、タフマンの海老沢”などと言われた。いずれもNHKの出身だが、その後、外部の財界人などが会長となって、政権批判ができなくなる。
“海老沢派”の小俣の海老沢評を続けよう。
「正月に海老沢さんの家で飲むんですが、いつも和服ですから、昔の親分という感じでね。正月は、お客さんがいっぱいに来るんで、膝を組んだままですが、超美人の女性記者が来た時なんか突然立ち上がって着物を直して正座しなおしたりして。本当に照れ屋で、ひょうきんちゅうか……」
茨城県生まれで、同郷の橋本登美三郎が田中(角栄)派の大番頭だったこともあって、経世会をバックにしていたが、岸信介から福田赳夫を経て安倍晋三に至る清和会が政権を握っていたら会長にはなれなかったかもしれない。
当時の自民党の有力な政治家の名前を挙げながら、小俣が続ける。
「左の宇都宮徳馬や、田川誠一から右の奥野誠亮や藤尾正行まで幅広く抱えているような、NHK内部の極左もファシストも取り込んでいて、めちゃくちゃウイングが広い。仕事ができる人については、キチンと評価していました」
安倍政権でNHKの経営委員に百田尚樹などが起用された。
それについて小俣は「安倍政権が続くうちは、歴史認識を問われるような番組制作は無理」と言っている。
その予言は残念ながら当たってしまったが、安倍信者の高市早苗によって電波支配はいっそう強まると思われる。
エビジョンイルが恋しくならないでもない。
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