科学と政治の間にある深い溝
長尾会長の「予知は可能になる」という主張と、坂井大臣の「手の打ちようがない」という告白。この二つは、矛盾しているようで、実は表裏一体だ。
科学は進化した。GPS電子密度の観測により、巨大地震の数十分前に警報を出すことが可能になりつつある。長尾会長が番組出演時に予知した青森県東方沖の地震は、その技術の有効性を示す証拠だ。番組の翌日の12月9日、気象庁は運用開始以来初めて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を発表した。科学と意識は、着実に前進している。
だが、肝心の日本社会が追いついていないのかもしれない。経済システムそのものが巨大災害に耐えられないことから現実逃避をしているのは、全国民がメディアなどによって無自覚の洗脳を受けているからか。私たちは現実を直視しなければならない。
1200兆円の債務を抱える日本が、さらに1000兆円の損失を被ったら何が起きるか。AI解析は、その答えを冷徹に示している。株式市場が80%大暴落、半減回復までに10年。国債の追加発行は財政破綻を招く。世界恐慌の再来——。
坂井前大臣が「誰も公に語ろうとしない」と言ったのは、このシナリオがあまりにも絶望的だからだ。政治家は希望を語らなければならない。「備えれば大丈夫」と言わなければならない。だが、AI解析などの示した現実はその希望を打ち砕く。
この矛盾は、「後発地震注意情報」の1週間という期間設定にも表れている。そもそも、1週間という期間に科学的根拠はあるのだろうか。
長尾会長が即座に答えた。「ありません。1週間という期間に科学的根拠は全くありません。人間が自粛に耐えられる限界が1週間なだけです。10日経とうが1か月経とうが、地震の危険度が薄れるわけではない」
つまり、行政の発表する「安全期間」は、科学ではなく人間の心理に基づいている。長尾会長が続ける。
「でも、それでいいのです。科学的に正確でなくても、国民がパニックを起こさず、かつ警戒を緩めない期間を設定することが、行政の役割です。私たち科学者は事実を伝える。行政はそれを社会実装する。その間には、必ずギャップが生まれます」
科学と政治の間にある深い溝——。筆者はそれを30年来災害取材で何度も体験してきた。だが、今回ほど鮮明にその溝を認識したことはなかった。
私たちは何をすればいいのか
番組では出演したこの二人に同じ質問をした。「結局、私たちは何をすればいいのでしょうか?」
長尾会長はこう語る。
「備えることです。南海トラフ地震は必ず来ます。30年以内に60〜90%という政府の発表は、控えめな数字です。もっと早く来る可能性もある。だからこそ、私たちは予知技術の実用化を急いでいます。10分前、20分前の警報が出せれば、多くの命が救えます」
坂井大臣の言葉も聞こう。
「組織を強化し、備蓄を増やし、避難所を改善する。防災庁を設置し、予算と人員を増やす。それでも、経済的な壊滅は防げないかもしれない。でも、私たちは集団移住などの抜本的な減災政策も視野に、200年先を目指してできることをやっていくだけです。私はそれを200年プランと名付けて、開始の『指示』を出しました」
希望と絶望。前進と限界。二人の言葉は、この国が直面する現実を映し出していた。
30年前、NHK記者職内定時代に富士山噴火の取材企画を立て調査を開始、結果、周辺11の自治体から激しい抗議を受けた。「観光への悪影響」を理由に企画はボツになったうえに当時の甲府放送局長から「君はNHKと地域を潰すつもりか!」と厳しく叱責された。かように当時の日本はタブーが蔓延り、自然災害に対しても決して正直とはいえなかった。
だが、今、ようやくそのタブーは破られた。長尾会長のような科学者が公然と予知技術を語り、坂井大臣のような政治家が「手の打ちようがない」という現実を認める時代が来たのだ。
私たちは、二つの現実を直視しなければならない。予知技術は進化している。だが、それで被害を完全に防げるわけではない。政治は努力している。だが、それで経済崩壊を回避できるわけではないのだ。
「南海トラフ地震は必ず来ます」。長尾会長は言った。「私たちが生きている間に体験できるでしょう」。この言葉を、私たちは重く受け止めるべきだ。
希望は、諦めの中にこそある。科学の限界を知り、政治の無力を認めたその先に、私たち一人一人ができることがある。備蓄をする。避難経路を確認する。家族と話し合う。移住する。そして何より正しい情報を取得し続ける。これらが、この絶望的なシナリオに対する、唯一の現実的な抵抗なのではないだろうか。
【出演・取材協力・参考情報】
- 日本地震予知学会会長・長尾年恭氏(東海大学・静岡県立大学客
員教授) - 前防災担当大臣・坂井学氏(内閣府特命担当大臣・防災/国家公
安委員会委員長) - NOBORDER AI解析チーム「UESUGI」
- JAXA「海洋シミュレーション」
- 気象庁「北海道・三陸沖後発地震注意情報」(2025年12月
9日初発表)
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