そもそも全くの誤りである安住淳の「民主党政権の総括」
安住が「私どもも政権にいた時には辺野古はやらざるを得ないということでやってきた」と言うのは、鳩山政権が普天間基地の「最低でも県外〔ということは出来れば国外〕への移設」を目論んで模索した挙句、米日官僚体制の壁に阻まれて、結局、「辺野古建設推進」以外の選択肢を切り開くことが出来なかったことへの、全く誤った総括である。
2009年9月に発足した鳩山由紀夫政権は「辺野古はやらざるを得ない」という方針など掲げてはいなかった。それどころか、鳩山の発言という形で「最低でも県外」の方針を堂々と掲げていた。
確かに、その年8月の総選挙に向け発表されたマニフェストでは普天間問題そのものに触れておらず、それは岡田克也幹事長、直嶋正行政調会長らの“慎重論”(という名の臆病風)に基づく回避行動で、その協議の場で鳩山は「ずいぶん弱腰になったな」と思いつつも了承した。が、その約1カ月後の7月19日に沖縄3区の玉城デニー候補の応援のため沖縄市に入った鳩山は、現地の熱気に押し上げられて「最低でも県外」と明言したのだった。
それは、岡田や直嶋らからすればマニフェストに違反する行為だが、逆に鳩山側から見ればマニフェストに「辺野古推進」と書いてある訳ではない。それどころか、1996年の旧民主党はその前年9月の沖縄米兵3人による12歳の小学生少女の強姦事件に対する激しい怒りの中で結党理念・政策の議論を始め、当時大田昌秀県政下、吉本政矩副知事が提唱していた「基地返還アクションプログラム」に学びながら「常時駐留なき安保」を基本政策の1つに掲げたのであり、鳩山ら創党メンバーの沖縄基地問題への思いは深い。
当然にも、何度か改定された「沖縄ビジョン」には「辺野古移設反対」が書き込まれていて、この時の直近の2008年版でも「普天間基地の辺野古移設は……こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索し……戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す」と明記されていた。
従って、せっかく308議席を得て政権交代を果たしながらその本来の主張を引っ込めたことの方がおかしいのであって、安住の「私どもも政権にいた時には辺野古はやらざるを得ないということでやってきた」というのは逆立ちした言葉である。そこには、辺野古反対を引っ込めたり、そのために「中道」を名乗ったりすれば、米日権力は野党が政権に就くのを許してくれるだろうと期待する奴隷根性が滲み出ている。
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