高市自民が沖縄でも全議席を獲得。「オール沖縄」を殺した“大戦犯”は誰なのか?

 

一世を風靡した「オール沖縄」という闘争スタイルの萌芽

さて、沖縄の政治を一世風靡した「オール沖縄」という闘争スタイルの萌芽は、上記95年の少女暴行事件に怒り狂った県民が立ち上がって開いた「10・21米軍人による暴行事件を糾弾し、地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」にある。

宜野湾市海浜公園の会場は8万5,000人の参加者で埋まり、宮古、八重山でも3,000人規模の集会が開かれて、これは復帰後では最大規模の集会となったが、何よりの特徴は、県議会の保守・革新を問わず全会派が一致して呼びかけ、地域のさまざまな団体や組織もこぞって賛同し結集したことにあった。

これを組織したのは故玉城義和県議で、彼が大会実行委員会の事務局長に就いた。その後、米軍の暴虐に対する県民総意の抗議のために「実行委員会方式」の県民大会は何度か開かれるが、それが決定的なピークを迎えたのは2012年9月の「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」10万人集会だった。ところがその1カ月後、米日政府は県民を嘲るかのようにオスプレイの普天間配備を強行した。

これに対する玉城の抜群の切り返しは、沖縄県議会議長、沖縄県市長会会長、沖縄県商工連合会会長、連合労組沖縄会長、沖縄県婦人団体連合会会長の5人を共同代表としたその下で、県議会の全会派の長が署名捺印し、県内の全41市町村の首長と議会議長は何と(私はこれにすっかり感動してしまったのだが)公印を押して(政治家個人としてではない、公の職を賭した覚悟の証として)連名の「建白書」を発し、これを安倍晋三首相に直接突きつけるというもので、13年1月13日、東京・日比谷野外音楽堂で集会を開いたそれらの人々は、その後に銀座通りをパレードする一方、代表が首相官邸を訪れて安倍にそれを手交した。

この時、市長会の会長は那覇市長だった翁長雄志で、彼はまさに沖縄のミスター自民党とも言うべき保守派のスターであったにもかかわらず、オスプレイには強い危機感を抱き、「オスプレイの配備を直ちに撤回し、普天間基地を閉鎖・撤去し県内移設を断念せよ」との建白書運動の先頭に立った。

ところが、パレードの終点の銀座1丁目の歩道で彼らを待っていたのは右翼ヘイト集団の数百人で、「沖縄人は中国へ帰れ!」と言った汚らしい罵声を浴びせた。実行委員会の翁長代表と並んでデモの先頭を歩んでいた玉城事務局長は、その時、翁長が拳を握り締めて振るわせるのに気がついて横を見ると、翁長の頬に涙が伝っていた。「祖国復帰」を夢見て長年闘って、それで迎えてくれた「祖国」がこれなのか……という涙だったと思うと、玉城は後に私に語った。

その瞬間、玉城の頭に浮かんだのは、「あっ、この人をオール沖縄で14年の県知事選に担ごう」という閃きだった。しかしここでも玉城は巧みで、私とのある夜の私的会話でこう漏らした。

「翁長を知事に立てる」

「ヒエーッ、ウルトラCじゃないですか」

「いいか、絶対に他人に漏らすな。漏れたら話が壊れる。今は共産党に話をして、志位まで話が行って『我が党としてはそれで結構です』と返事が来た。が、先に共産党に話をしたことがバレると物事はうまく行かない」

「これが成ったら、まさに自民から共産までの『沖縄ぐるみ』ですね」

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