衆院選で獲得した戦後最多316議席。それでも始まりそうな自民党「高市おろし」のカウントダウン

 

政権の極端な右傾化を阻止するため動き始めた「党内野党」

岩屋氏の発言をただちに党内抗争の勃発と見るのは早計だとしても、その兆候と受け取るのは、あながち不自然とはいえない。本格的な動きがあるとすれば、高市総裁の任期満了(27年9月)にともなう自民党総裁選を見据えたものになるだろう。

むろん、衆院選で戦後最多の316議席を獲得したという事実は、「最強の安定政権」を自民党にもたらしたかに見える。

自民内での首相の統率力は格段に強まる。(中略)党内では今後、首相への批判は起きにくく、首相が独断的に政策決定を行うこともできる環境が整うことになる。
(2月8日朝日新聞デジタル)

この議席数を守るため、これから3~4年、衆院解散はないだろう。しかし、そこに落とし穴があることを、歴史が証明している。

2005年8月の「郵政解散」で小泉純一郎首相が地滑り的大勝利をおさめた後、09年7月に麻生太郎首相が衆院を解散するまでの4年間、自民党がどのような道をたどったか、振り返ってみるといい。

小泉首相は「郵政民営化」に反対する自民党議員を「抵抗勢力」として切り捨て、刺客を送り込む劇場型選挙で296議席を獲得した。今回の高市首相と同じく、人気投票的な支持のうねりが起きた。経済財政諮問会議を司令塔とし、省庁や族議員の既得権益を許さない小泉構造改革は不良債権処理や規制緩和などで一定の成果を上げたが、同時にそれは小泉氏個人に依存する構造をつくり出し、自民党の弱体化を招いた。

小泉首相は06年9月の党総裁任期満了を機に退陣。安倍晋三氏が首相に就くと、「消えた年金問題」が発覚し、07年の参院選で大敗。衆院で圧倒的多数を持ちながら、参院で法案が通らない「ねじれ国会」に突入したことが、安倍、福田康夫、麻生太郎と3代の首相にわたる政治的混乱の引き金になった。

衆院の「3分の2」という数が、かえって「解散」の判断を遅らせ、政権の「死に体」を招いて2009年、民主党への政権交代につながったのだ。

2月9日、高市首相は衆院選後の記者会見で、こう語った。

「少しでも早く憲法改正の賛否を問う国民投票が行われる環境をつくっていけるように、粘り強く取り組んでいく覚悟です」

高市首相は今回の歴史的圧勝を改憲へのゴーサインと受け止めたのか、これまで党内穏健派への配慮で慎重だった言葉遣いを、一気に実行モードへ切り替えた。多くの有権者は「物価高対策」や「生活支援」を期待して投票したかもしれないが、高市首相はそれを憲法改正や国防強化という“本懐”を実現するための「白紙委任」のごとく活用しようとしている。

岩屋氏が衆院選開票の翌日に「ブレーキ宣言」をした背景には、岩屋氏や石破茂氏、村上誠一郎氏ら保守リベラル(ハト派)の実力者が政府や党本部の外に弾き出され、衆院選でも充分な支援が受けられなかったことがある。その結果、彼らは失うものが何もない自由な批判勢力(党内野党)として、政権の極端な右傾化を阻止するために動き始めたと見ることもできるだろう。

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