戦争も神権政治も望んでいるはずがないイランの女性たち
とにかく、イラン人の望みは「欧米の普通の周辺国」になることです。そのうえで、石油資源を生かして少し良い生活をするのが望みです。そのために、苛酷な独裁を行ったシャーを追放したのに、今度は僧侶が原理主義的な政治を行って、結局は社会は別の閉塞感で覆われてしまいました。
以降は選挙をすると穏健派の大統領が選ばれるが、僧侶の前では穏健な政治は許されないという奇怪な構図が続いたのです。その中でも、僧侶たちが憎んでいるのが2つの問題です。それは、
「庶民がマクドナルドのバーガーを食べること」
「女性が男子サッカーの応援に行くこと」
前者は革命で禁止されました。後者はあまりにも民意が強い要求をしているので、僧侶も押さえきれていないのですが、とにかく僧侶は忌み嫌っています。「夫でも兄でもない男性がスネ毛を出してボールを追う」のを未婚だろうが既婚だろうが、女性が喝采するのは、僧侶からすると、その女性たちを「火あぶりにしたい」ぐらい憎らしいようです。
ムハンマドは、7世紀の隊商社会における砂漠のテント村における「賢い秩序維持の知恵」を説いただけで、1,400年後に女性の尊厳を踏みにじることは考えていなかったと思います。ですが、シャリアに毒された僧侶は違うようです。そして、マクドナルドを食べたい都市住民、男子サッカーを応援したい女性などの声を反映しているのが、国内の穏健派ですが、そのホンネの主張は僧侶の存在とは相容れません。
その結果として、僧侶たちが、特に若き日に穏健派による暗殺未遂に遭ったハメネイは、イスラエルと事実上の冷戦に入ることで国内をまとめてきたのです。ニワトリが先か、卵が先かということで言えば、女性に男子サッカー観戦をさせたくないので、手段としてイスラエルとの緊張関係を生み出しているという順番と言ってもいいと思います。
つまり、サッカーというのはイランの穏健派の希望なのです。女性が自由に男子サッカーを応援する社会、女子サッカーが正当に認められる社会、これが彼らの要求であり希望ですが、僧侶たちがその前に暴力的な力で立ちはだかっているのです。
米国の現政権は、このことを全く理解していないと思われます。W杯出場のイラン代表をあの手この手で「いじめる」のが正しいとか、米国内の情弱に受けるという発想は、イランにおけるサッカーの意味を理解しないから出てきているとしか思えません。
また、米国の独立記念日にぶつけて、イランではハメネイの葬儀を行っています。数千万が参加しているというのは、要するに戦時中の日本がやった提灯行列のようなもので、非公式的な強制性を伴っていると考えるべきです。西側メディアに対して、わざわざ女性にハメネイ追悼と米イスラエルへの憎悪を喋らせているのも、完全にヤラセです。イランの女性たちは、こんな戦争も、こんな神権政治も望んでいるはずがないからです。
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