中身ゼロだから当然の結果?空回りしたNY版「サナエ劇場」の寒すぎる結末

 

国連演説で浮き彫りになってしまった「世界の関心の低さ」

最近、『高市早苗という病』(適菜収著)という本が出版された。昔、政治家になりたてだったころの高市氏が、当時の週刊誌のインタビュー記事で語った発言内容をいくつも掲載し、それをもとに彼女の人物像を浮き彫りにしている。

その中に「高市の出発点は嘘だった」と指摘している部分がある。高市氏は1988年1月から89年3月まで、パトリシア・シュローダー米下院議員(民主党)の事務所に在籍したが、どのようにしてその職を得たのかについて、当時の新聞や雑誌などの資料を調べていくと『CLASSY.』(1992年1月号)の以下の記事に突き当たったという。

私の英語力って大したことなかったから、その頃つき合ってた男がすっごく英語ができる男だったんで、ずい分添削してもらった(笑)。だいたい私、自分は日本の軍事問題の権威だって、ウソ書いたの。

自分を大きく“見せかけ”て、シュローダー事務所にもぐりこみ、コングレッショナル・フェロー(研修生)として1年ちょっと働いた。給料は派遣元の松下政経塾から支払われていた。

その後、日本に戻った高市氏は「米国連邦議会立法調査官」だったと自称してマスコミ界にデビュー。1992年7月には参院選に出馬し、落選した。週刊現代92年9月19日号の俳優、山城新伍氏との対談記事で、「落選したけど、実は選挙中にいい男を掴んだのよ」と得意げに話しているくだりがある。

落選が決定的になり、「今晩は人生で一番悲しい夜になるかもしれない。一緒にいてくれると嬉しいな」と目をつけていた男性に電話。支持者が選挙事務所に詰めかけて高市氏を探したが、そのころにはその男性と“ある場所”に行っていていなかった。そんなことまで、あけすけに語っている。「同情を利用する手口もこの頃からだった」と著者の適菜氏は書いている。

今年の通常国会で高市氏が繰り返し強調したのは、寝ずに頑張る総理の日常だった。連日明け方まで国会答弁の準備をしているというのに、中傷動画やサナエ・トークンなどあずかり知らない問題で追及される“世界一悲しい女”というのが、高市答弁に一貫して流れていた被害妄想的な承認欲求だったといえるかもしれない。

高市首相は「世界の真ん中で咲き誇る日本」という安倍晋三元首相の掲げたフレーズを好む。外交舞台では常にそれを意識し、日本国民に向けて、どれだけ自分が輝いているかをアピールしてきたのだが、今回は見せたい気持ちがはやりすぎて、実態とかけ離れてしまうシーンが目立った。初の国連演説にしても、その意気込みとは裏腹に会場の大部分が空席で、かえって世界の関心の低さが浮き彫りになってしまった。

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