「危機管理においては『巧遅拙速』を旨とせよ」。軍事アナリストで危機管理の専門家でもある小川和久さんが、災害やテロ、そして新たな感染症などに対峙する側の心構えとして、事あるごとに発してきた言葉です。小川さんはこの言葉の出典を『孫子』としてきましたが、それが誤りであるとの指摘を受けたようです。今回、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で、自身の不明を正直に告白し、孫子の言葉と意味を危機管理や軍事の教訓として読み解き直しています。
「拙速」と言った『孫子』に「巧遅」はない
これまで、ことあるごとに「巧遅は拙速にしかず」と、古代中国の戦略の書『孫子』を引用したかのように、知ったかぶりをしてきましたが、親切な方から教えていただきましたので、おのれの不明を恥じつつ、以下、書かせていただきます。
私は、どんなに立派に仕上がったものでも、タイミングを逸してしまったら何の意味もない。むしろ、雑な部分が沢山残ることは覚悟のうえで最優先すべき目的だけを達成するために素早く行動することが、戦争でも、大規模災害でも、感染症対策でも重要だと述べてきました。
考え方自体はこれでもよいのですが、『孫子』に出てくる言葉は「ゆえに兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり」というもので、「巧遅」という言葉は使われていないのです。この言葉の意味は、「拙速で勝った例はあるけれども、巧みにやろうとして勝った例は知らない」というものです。
教えてくださった方によれば、それに関連して『孫子』は次のような意味のことを言っているそうです。
「遠征で自軍を疲弊させては兵の士気と多額の資金を失うので、長期にわたる持久戦をすることになれば国家経済は窮乏する。そうなったら中立だった諸侯も、その疲弊につけ込んで攻めてくることがある。いったんこうした窮地に立ってしまえば、いかに知謀の人でも、善後策を立てることはできない」
ちなみに「巧遅」のほうの出典は、南宋の科挙のための受験参考書『文章軌範』とのことで、模範的な簡潔な文章を書くためのポイントとして「巧遅は拙速に如かず」とあるそうです。辞典の類いにも、『孫子』と『文章軌範』を合体させたと思われる「巧遅拙速」という言葉があり、それにすっかり惑わされてしまったようです。
一般社団法人・孫子塾のウェブサイトには、読者の質問に対して次のような回答が掲載されています。
「拙速の出典は『孫子』ですが、拙速を巧遅より貴ぶのは、『兵には』という前置きがありました。戦争の最中に丁寧に事を運んで、負けてしまっては何にもなりませんね。定石や先例に反していても、結果として戦争に勝つことのほうが優先されます。『拙速は良くない』というのは常識ですが、私(孫子)は戦争ではその常識は通用しないと言いたい、ということです。あえて常識に反することを言っているのです」
これを聞いて、少しは安心しました。やはり、緊急事態にはもたもたしないで早く目的を達成することが第一、ということです。旧軍で「兵は拙速を旨とすべし」と教育されたという話を聞きますが、軍人勅諭、戦陣訓、作戦要務令には見当たらないようです。ご存じの方、教えてください。
今回の教訓。「生兵法は大怪我のもと」。親の言いつけはちゃんと守らなければ。(小川和久)
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