我が子には自分のことを好きになってほしい…と思うのは親なら誰しも思うことではないでしょうか。しかし、そう思うような子になるためには、親や周囲の大人はどのように接するのが大切なのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、 自分が好きになることのメリット、自分が嫌いになった子の起こす行動について、大人にも同じことが言えるとして警鐘を鳴らしています。
「自分が好き」な子どもになるには
道徳の授業で「ぞうさん」(まどみちお)を扱った。誰もが知っている有名な童謡である。
A 「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」
B 「そうよ かあさんも ながいのよ」
命のつながりが基本テーマなのだが、アイデンティティにも関わる話である。
まず、誰が誰に向かって言っているのかを問うた。Aの発話者が誰でBの発話者が誰かという話である。
まずAで意見が分かれた。Aが「ぞうの友だち」なのか「動物園に来ている人間」なのかで割れた。
これはどちらにもとれるが、とにかく「本人が象ではない他者」である。もし本人も象なのであれば、「おはながながいのね」の問いかけは不自然になるためである。
Bは「ぞうの子(子ぞう)」であるという解釈が一般的である。Aで「ぞうさん ぞうさん」と呼び掛けており、「かあさんも」と答えているためである。
要するに「ぞうのかあさんから生まれた子どもだから、私も当然鼻が長い」のである。親が象以外の生物であれば、鼻が長いという特徴は遺伝しない。
象は象から生まれ、人間は人間から生まれる。命がつながっているとは、そういうことである。
Bは、極めて肯定的な返答である。「いいでしょ、えっへん」という感じすらある。存在への自己肯定感である。
まどみちおさんの詩には、このようなものが多い。例えば『くまさん』という詩がある。冬眠から目覚め、寝ぼけて自分が誰だったか忘れてしまったくま。水に映った自分の顔を確認して思い出し「自分がくまでよかった」と締めくくる詩である。
命のつながりへの意識をもつことは、祖先への感謝をもつことでもある。祖先の誰か一人でも欠けていたら自分が生まれていないということへの畏敬の念を抱くことでもある。
せっかく頂いた命、奇跡の確率で生まれてきた自分を大事にする。これが、なかなか難しいようである。