東北勢の悲願だった夏の甲子園での初優勝を仙台育英高校がついに果たしました。その優勝の価値は、異文化を乗り越えたともいえると語るのはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さん。その理由を語っています。
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異文化乗り越え「白河の関を超えた」仙台育英の価値
第104回高校野球選手権大会で宮城の仙台育英が優勝し、東北勢が悲願の初優勝を果たし、深紅の優勝旗が初めて「白河の関」を越えた。
30年以上前に同じ宮城県内で高校野球をやっていた頃には、地元の高校が関西勢をはじめとする全国レベルの高校と互角に渡り合えることだけでも奇跡であり、白河の関を超えることは夢物語でしかなかった。
時には突出した逸材を擁して夢に近づいた瞬間はあったが、夢は持ち越されたままだった。
今回は5人のエース級の投手を育て、チーム力で勝ちを重ねてきた新たなチーム作りにも刮目させられる。
東北のチームが勝つために工夫され、実行してきたことだろうが、そこには綿密なコミュニケーションがあったはずだ。
この工夫は、新しい世界に出会い、成長していく、というプロセスなのだと考えると、この優勝から学ぶことは多い。
30年以上前の春。
大阪府堺市は曇天の空模様。
私は打ち上げられる打球を見上げ外野の向こう側になくなっていくのを何度も見送った。
私が投げる球はピンポン玉のように飛んでいく。当時、全国の強豪だった大商大堺高のグラウンドは何もかも異世界だった。
選手のいかつい顔と頑強な肢体、野太い声、関西弁の野次、その野次の的確さと鋭いリズム。
宮城県から遠征した我がチームは県内でも中クラスのチームだったから、大商大堺との対戦は明らかに場違いだった。
同校に入った瞬間から、選手たちの姿に気圧され、我がチームの誰もが「おっかねえな」と思いながら口に出せないまま、スコアボードには片方のチームだけが数を増やしていった。
試合の勝敗よりも、その文化人類学的な違いで勝負は決まっていた。
マウンド上で感じたこの体験は、私に関西と東北の文化の差異を強烈に意識づけさせ、今に続く「違いを埋め合わせるためのコミュニケーション」を考えさせるきっかけとなった。
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