世間を騒がせた事件の犯人同士が刑務所内で出会うことがあります。1983年の暮れ、「スパイ粛清事件」で服役中だった作家の見沢知廉がいた千葉刑務所に収監されたのは、「金属バット殺人事件」で両親を殺したAでした。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』の「メディア異人列伝」では、評論家の佐高信さんが、見沢が語ったAのエピソードを紹介。殺人犯や強盗犯たちでも落ちつきをなくすような出来事とは、どんなものだったのでしょうか。
メディア異人列伝:見沢知廉
1995年4月号の『噂の真相』の列伝で取り上げられた見沢は「1959年、東京生まれ。一水会政治局長を経て、作家として活躍。高校時代ブント戦旗派に所属後、新右翼運動に転じる。スパイ粛清事件での服役中に書いた『天皇ごっこ』が新日本文学賞の佳作に入選」と紹介され、「8年後の独居生活は文学を支えに」と見出しがつけられている。
生前に会ったことがある見沢を私は監修解説を担当した読売新聞社の「戦後ニッポンを読む」シリーズに入れた佐瀬稔著『金属バット殺人事件』の解説で次のように引用した。
長く千葉刑務所に入っていた見沢の『囚人狂時代』(ザ・マサダ)に、このノンフィクションの“主人公”であるAが登場する。
「おい、6工にあの金属バットが落ちたぞ」
千葉刑務所の第6工場にAが入ったというニュースは、ひそかに所内をかけめぐった。
「えっ、金属バットっていうと、あのA?あいつ何年でしたっけ?」
「13年。やっと裁判が終わって、降りてきたわけよ」
1983年暮れの話である。
左翼から右翼に転じた見沢は「典型的なエリート一家の次男坊」であるAを、こう“総括”している。
「早稲田大学の受験に失敗。予備校の成績もかんばしくなく、2度目の受験も失敗した。そんな息子を両親は叱責するばかり。そのためAはノイローゼ状態になり、ある日、両親に『このクズ』などと罵られたため、金属バットで殺してしまった。80年11月のことである」
家庭内暴力の沸騰点としてマスコミはこの事件を争って報じた。捕まる前にテレビで「こりゃ、すげぇな」と思いながら見ていたという。
このAが金属バットで再び注目を浴びる日がやって来る。休憩時間になると、所内では大体2組に分かれて野球を始めるのだが、そのときAは置いてあった金属バットを持って「無心」に振りまわし出した。それを見て殺人犯や強盗犯の“凶悪犯”たちが落ちつかなくなる。
「おい、あいつ、例の金属バットじゃないか…」
久しぶりの好きな野球で、Aはブンブン音がするほどの素振りをやっている。それに気づいて、“猛者たち”が野球どころではなくなってしまった。そして遂に、中の1人が蒼白な顔で担当のところへ走って行ったのである。殺人罪で入っている人間だったというのだから、おかしい。
「先生!大変ですっ。Aが金属バットを振りまわしています!大丈夫なんですか?」
そのAと見沢は映画会で隣同士になり、「見沢さんでしょ?あのスパイ粛清事件の」と話しかけられる。そして「まあ、仲良くやりましょうや」と背中を叩かれたらしい。
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