ルンバを導入すると部屋がきれいになる──掃除をしてくれるからではなく、ルンバが通れるように人間が片付けるようになるからだそうです。実はこの笑い話にこそ、生成AI導入の成否を分ける本質が隠れています。散らかった現場にAIを置いても混乱が深まるだけ。メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』では、文筆家の倉下忠憲さんが、暗黙知を形式知へと変換する「仕事の棚卸し」こそが生成AIを「チームの一員」に迎える鍵であることを、企業と個人の両面から解き明かします。
ルンバと生成AI
一つの会社をイメージしてください。日本のよくある企業で、現場は暗黙の慣習と属人的な作業と上司の無茶ぶりと臨機応変な態度でなんとか成り立っていたとします。
外部からやってきた経営者がそれを見て「非効率だ!」と憤慨しました。改善しなければと強い決意を燃やしているところに、コンサルタントが「今はもうどこもAIですよ、AI」と言い、それならばと導入が決まりました。全社員に生成AIモデルを使用するアカウントが与えられ、全面的にそれを使っていくように要請されたのです。
さて、その現場は改善されるのでしょうか。おそらくは難しいでしょう。現場がとっちらかっている状態を放置して、その上に何かしらの解決策(この場合は生成AIの導入)をぽんと置いたところで、状況は変わりません。むしろその”解決策”のせいで余計にややこしい状態になることすらありえます。
弱いロボット
よく言われる笑い話ですが、自宅にルンバを導入すると部屋がきれいになります。ルンバが片付けをしてくれるからではなく、ルンバが移動できるように人間が物を片付けるようになるからです。
これは「弱いロボット」の構図として、つまり力強いロボットが人間の代わりに仕事をするのではなく、助けを必要とする弱いロボットが人間の仕事を触発する事例として受けとることもできますが、もっと単純に、部屋が片付けられないならルンバを買っても床掃除をしてもらえない、という身もふたもない事実としても受け取れます。
つまり、ルンバはたしかに役立つが、それを買いさえすれば素晴らしい成果が手に入る”解決策”ではないわけです。
仕事の明文化
個人の知的生産や仕事でも同じでしょう。今あるプロセスがとっちらかっている状態で、「この仕組みを導入すれば驚きの生産性が手に入る」という謳い文句のメソッドを導入したところで、大きな改善が見込めるとは思えません。むしろ混乱は深まるばかりでしょう。
しかし、逆の話もあります。ルンバを導入するために、仕方なしに部屋を片付けるという例の駆動力です。
たとえば、生成AIに自分の仕事を代替させようという場合、まず「自分は何をやっているのか」を認識する必要が出てきます。どんな行為を、どんな手順で進めているのかを確認するわけです。
その上で、それぞれの行為について言明しなければいけません。まずテンプレートを探し、そこからファイルを作った上で、作成日の情報を追加する、といった具合に明文化していくことで、はじめて生成AIもその仕事を受け取れるようになります。
そのような把握と記述(説明)は、知識経営の分野で言えば、暗黙知を形式知に変換していると言えます。その変換があって、はじめて生成AIを「チームの一員」に迎え入れることができるのです。
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