日本最南端の鉄道で行く、沖縄のユタに会えるパワースポット

2015.04.09
by kousei_saho
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沖縄・那覇市の人口は32万人を超えており、実は新宿区と並ぶほど。商業ビルやマンションなどが立ち並び、“都会”といっても過言ではありません。そんな都市の街なかの、水がこんこんと湧き続けるパワースポットを、写真家の伊波一志さんがフォトレポートしてくださいました。

宝口樋川(タカラグチヒージャー) 那覇市首里儀保町

沖縄唯一の鉄道「ゆいレール(沖縄都市モノレール)」。その終点首里の一つ手前に儀保(ぎぼ)駅という駅があります。儀保駅周辺はたくさんの車が往きかい、商業ビルやマンションの建つ、一見よくある近代的な町並み。ただ、今回ご紹介するのは、そのような近代的な町に対して、ひっそりと抗うかのように存在する不思議スポット、宝口樋川(タカラグチヒージャー)です。ヒージャーとは、沖縄の方言で共同井戸のこと。

儀保駅で下車し、那覇市立病院向けにしばらく歩き、「沖縄ガス」の建物を左折すると真嘉比川という川があります。橋の上から川を眺めると、まるで町の異物のように、深い渓谷が住宅街を切り裂くように横たわっています。川の脇道(幅約1mの石畳道)を降りていくと、底の方まで石段が。やがて谷底に近づくにつれて立派な石積みが組まれた一画が見えてきました。そう、ここが宝口樋川。

あいかた積みの石垣と水槽

あいかた積みの石垣と水槽

切り立った崖は、沖縄独特のあいかた積みによって強固に守られており、人工的な水路からはこんこんと水が湧き出ています。訪れたのは梅雨の晴れ間の暑い日だったのですが、この空間だけはひんやりとした空気が流れていました。ふと横を見ると、ヒージャーの真向かいには滝壺のように落ちる真嘉比川の姿が。都会の住宅地に滝壺!?こちらもかなり驚きました。

ヒージャー横の滝壺

ヒージャー横の滝壺

さて、この宝口樋川は、1807年に首里の村人達が資金を出し合って創り上げたものだそう。昔から水量が豊富で、干ばつ時にも涸れる事がない貴重な水源だったとのこと。奥に並んだ水槽(昭和初期建造)は、最初の湧き口は飲み水用、次に野菜・食器洗用そして最後は洗濯用とちゃんと区分されていて、40~50年前までは近所の主婦達がここで毎日洗濯や炊事を忙しくこなしていたそうです。そしてその周りでは子供たちが遊んでいたとか。ノスタルジックな昭和の沖縄…、なにか想像するだけでワクワクしますね。

宝口ヒージャー奥から

宝口ヒージャー奥から

建造されてから200年以上は経過しているヒージャーですが、もちろん現在は日常的には使われていません。また残念なことに、30年ほど前に完成した環状線で末吉の森が分断され住宅が建ち並ぶようになってから、徐々に湧き水の量も減ってきているそう。どこかさびしい気もしますが、ただそこは沖縄。ヒージャーの水自体は日用されず水量も減ってきてはいますが、ウガンジュ(聖なる拝所)としての存在感はまだまだあるようです。実際、地元の方々の来訪はとどまらないそう。僕が帰る際にもユタ(沖縄の霊能者)のおばあさんと中年の夫婦が真剣に拝んでいました。

ウガンジュとしての存在感

ウガンジュとしての存在感

宝口樋川を見に行って、本物のユタに出会った…、なんてのも楽しいんじゃないでしょうか。ぜひ、たずねてみてください。

 

iha伊波 一志(いは かずし)

1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。

 

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