「誇り」を取り戻せ。日本人が知るべき自分自身の「根っこ」

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多くのアメリカ人がいつも明るく幸せそうなのはなぜなのでしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の著者・伊勢雅臣さんは、米国留学中に多くのアメリカ人が持つ、優越感とは異なる「誇り」に驚かされたそうです。そんな伊勢さんは、日本人も植え付けられた「自虐史感」を捨て、しっかりと「誇り」を取り戻せば精神的に豊かになれるとした上で、日本人が誇りを取り戻す為に知るべきことについて私見を記しています。

「誇り」とは「優越感」とは違うもの

ご好評をいただいている拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』の「あとがき」で、こう書いた。

最近、「日本人としての誇りを取り戻そう」という趣旨の発言がよくなされるようになりました。以前の「自虐史観」から脱皮しつつあるのは喜ばしいことですが、「誇り」という言葉に私は少し引っかかりを覚えています。

 

かつての我が国は「世界第二の経済大国」であることを誇っていましたが、中国に抜かれて第三位になったら、その「誇り」も少し減るのでしょうか? あるいは、世界には小さな国が無数にありますが、そういう国の国民は「誇り」を持てないのでしょうか。

 

私には「誇り」というよりも、豊かな歴史伝統という「根っこ」を残してくれた先人への「感謝」という言葉の方がしっくりきます。

「あとがき」なので、詳しくは書けなかったが、「誇り」について、本編でもう少し考えてみたい。

貧しい後進国から来たという気後れ

誇りを考えるようになったきっかけは、アメリカ留学時代からである。渡航したのは昭和55(1980)年だから、もう36年も前になる。当時の私は27歳、初めての外国だった。社員留学制度に応募したのだが、制度はまだ整備途上で、給料とボーナスは出すから、あとは渡航費も授業料も自分でやりくりせよ、というものだった。

飛行機代を節約するために、一番安いチケットを探したら、大韓航空で、伊丹空港からソウルに飛んでロサンゼルス便に乗換え、そこからさらにサンフランシスコに行くという大回りとなった。

ロサンゼルス空港で、今でも鮮明に覚えているのは、壮大な空港の中を多くのアメリカ人がTシャツやジーパン姿と、それこそ近所に散歩に行くような格好で闊歩していたことだった。日本では当時はまだ飛行機に乗るのは贅沢なことだったから、日常的に飛行機を乗り回しているアメリカ人の豊かさが目映まばゆかった

サンフランシスコに着いて、近郊にあるカリフォルニア大学バークレー校に学んだのだが、最初の1年間は留学生用の寮であるインターナショナル・ハウスに住んだ。

5階建てほどの壮麗な修道院のような建物で、窓からはサンフランシスコ湾が一望できた。日没時にはゴールデン・ゲイト・ブリッジの向こうに夕陽が沈んで行く。その夕陽に湾全体が赤く染まる壮大な光景に見とれた。

500人の寮生は半分がアメリカ人、半分が留学生で、互いに仲良くつきあえるように工夫されていた。寮費は高かったが、部屋は個室で、三食付き、食べ放題。ある日本人留学生が大きなバケツに入っていたアイスクリームを山盛りにすくって、一口、口に入れたら「なんだ、これバターだ」と言った滑稽な場面にも出くわした。

こういうアメリカの豊かさに触れると、日本はまだまだ貧しい後進国のような気がして、そこから来た私としてはなんとなく気後れを感じたものだった。

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