高校時代の体験から「いつか食堂をやろう」
きっかけは小林が高校3年の時のこと。進路で悩み、わずかなお金を握りしめて神戸から上京、2ヵ月間、家出をした。見知らぬ土地でアルバイトをして暮らす日々。誰とも口をきかず、この世で自分は一人ぼっちだと思った。そんな時、バイト先の同僚が「一緒に食べよう」と声をかけて、温かい唐揚げ弁当を手渡してくれた。
たまたま同じ職場になっただけの名前も知らない人たち。でも一緒に食べただけで、心がほぐれてきて、温かな気持ちになった。小林は涙が溢れ、止まらなくなったと言う。
「横に誰かがいることが自分にとっては必要だと気づいたんです。未来食堂はただの小さな食堂なので、知っている人を少しでも増やして、自分と同じようにいまにも落ちそうな人にまで届けたいんです」(小林)
家出から戻ると受験し、東京工業大学に入学。その後、IBMや料理サイトのクックパッドでエンジニアとして働きながら、「いつか食堂をやろう」という思いを固めていく。そして会社を辞め、サイゼリヤや大戸屋などの外食で修業を積み、2015年、未来食堂を開いたのだ。
常識にとらわれない型破りな食堂は話題となり多くのメディアでも取り上げられた。
毎週土曜日には、来週食べたいものについて、居合わせた客にアンケートをとる。恒例となった客とのやりとりから、日替わり一品メニューが決まっていく。客がメニューを決めていくのだ。
手作り惣菜で開業の夢~“ただめし”の未来
未来食堂で「まかない」をする客には、飲食店を開業しようという人も多い。小林はさまざまなアドバイスを求められる。主婦の具島和子さんもその一人。未来食堂で「まかない」として週に1、2回、およそ1年間手伝いをしてきた。その目標は「惣菜店を開くこと」だった。
惣菜屋さんは東京都日野市にある自宅で開業予定。訪ねてみると、オープンに向けて本格的な改修工事の真っ最中だった。看板にある店の名は「とことこ」。「トコトコ立ち寄って欲しい」という願いを込めた。しかし具島さんの家は駅から歩いて20分。人通りも多いわけではない。お客は来てくれるのか。
そして迎えたオープン当日。販売するのは未来食堂に習い、日替わり弁当1種類だけ。この日のメインは煮込みハンバーグ。地元の日野で獲れた野菜もたっぷり入ったヘルシーな惣菜弁当は700円(惣菜550円、ご飯150円)。具島さんは「この中に全部つまっています。1年間、せかいさんに怒られたことがいっぱい」と笑う。
その日の午後、これまで開業をバックアップしてきた小林も早速駆けつけた。この日作った40食中、すでに31食が売れていた。残った分も夕方には完売。未来食堂から生まれた夢が形になった。
小林は将来について、スタジオで次のように語っている。
「未来食堂は一つ目の形。私は一人目のリレーの走者だと思っています。未来食堂の理念は『誰もが受け入れられて、誰もがふさわしい場所』。今は飲食店として形になりましたが、これはまだ第一形態。これを見た私より優秀な誰かが、第二形態に変えていけるんじゃないかと思います。もっといろいろな面で大きくなるとか、もっといろいろな人が加わってよりよい形になるとか。そこまで自分は走り続けて、未来食堂というブランドを高めていく。それが自分のやるべきことで、将来かなと思います」