東京モーターショーはこのままだとヤバい。プロが感じた「限界」

 

世界中から電気自動車(EV)の最新動向に熱い視線が集まる中、大盛況のうちに幕を閉じた東京モーターショー(TMS)2017。メルマガ『クルマの心』の著者で日本のクルマ産業を知り尽した自動車ジャーナリスト・伏木悦郎さんは「ホームの東京ビックサイトは4回目の今回もなおしっくりこない」と苦言。さらに、今後のTMSの展望と箱物事業のあり方について、世界のモーターショーを数多く見てきた伏木さんが鋭い視点の持論を展開しています。

いまだかつてTMSには国際のタイトルが冠せられることがない

1月のデトロイトNAIAS以来のモーターショー。ホームの東京ビッグサイトは、4回目の今回もなおしっくりこない。いつもなら9月にフランクフルトIAAでヨーロッパの最新トレンドを身体に入れて彼我の違いに溜め息をつくところだが、今年はデトロイトから戻った4日後に滑って転んで左脛骨をボッキリ折って、ジュネーブ、上海、ニューヨークNYIASと続くルーティーンをすべてパス。喪失感と言ったら大袈裟だが、一区切りついた感慨と共に第45回東京モーターショーTMS)に足を運んだ。

東京ビッグサイトは新たに東ホールに7/8ホールが加わり屋内展示面積が9.6万平方メートル(従来は8万平方メートル)に広がった。ホール7にホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキという2輪と4輪の専業あるいは併売メーカーを揃え、対極に位置する西1ホールにトヨタ/ダイハツ/トヨタ車体を配し、最大の東1~6ホールに外国勢を含むその他のOEMメーカーやサプライヤーが軒を連ねる。

中央エントランスの頭上に出展自動車メーカーのロゴが場内レイアウトに沿って掲示されているのだが、指折り数えられる多様性の乏しさはBEYOND THE WORLD”世界を、ここから動かそう。”という気宇壮大なスローガンが虚しく響くものがある。いや、この稿を書く段になってあらためて案内ボードの写真を見て、現実の厳しさに思いが至った。

すでに様々な評価があちこちから下されているのでことさら論(あげつら)うことは避けるが、結論から言うとこのままでは東京モーターショーは存続が厳しくなる

幾つかの事実を紹介しよう。まず第一に、TMSには国際(international)の標記が付かない。1954年(昭和29年)4月20~29日に千代田区の日比谷公園で第一回全日本自動車ショウの名で開催されたのがTMSの始まりとされる。

その地で4年連続開催の後、文京区に存在した後楽園競輪場で第五回(10月10~20日)が開催され、1959年(昭和34年)からは中央区晴海の東京国際見本市会場に変わるが、イベント名は第十回(1963年10月26~11月10日)まで『全日本自動車ショウ』のまま。

翌年の東京オリンピック開催(1964年10月10~24日)を契機に東京モーターショーという名称に改められている。国際モーターショーを目指す方針によるものとされるが、爾来1989年に幕張メッセ(第28回~41回)、2009年に現在の東京ビッグサイトへと会場を移してもなお東京国際自動車ショーを名乗るに至っていない。

それは単なる慣例の問題。そうしたほうがいいというなら次回からでも変えますよ。私は自工会(TMS主催者の日本自動車工業会)で東京モーターショー特別委員会の委員長ですから。

日産の中村史郎専務執行役員チーフクリエイティブオフィサーに何度か問うた際の返事を思い出す。中村さんは今年初めのデトロイトショー(NAIAS=北米国際自動車ショー)を最後に退任され、果たされることなく今回を迎えている

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