震災から4年。命をかけて子どもたちを救った米国人教師を忘れない

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東日本大震災から4年

『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』 Vol.130より一部抜粋

東日本大震災を経験されたJETプログラムの先生・・・と言えば、忘れられないのがテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さん。

米国バージニア州出身で、小学生の頃から日本に興味を持ち日本語を学び始めたテイラーさんは、2008年、大学卒業後に「JETプログラム」に参加。小中学生に英語を教える先生として日本へ・・・。

彼女の赴任先は、東北地方、宮城県内で第二の人口を擁する市、石巻市(いしのまきし)。

外国人が珍しい東北地方の内気な子ども達に、テイラーさんは常に優しく接し、英語を間違えても恐れることはないのよと示し続けました。

彼女の勤務先は、主に石巻市の小中学校でしたが、仕事とは関係なく、隣接する幼稚園でもテイラーさんは教員や園児たちと深く触れ合っていました。園児がダッシュで彼女のもとに駆け寄りジャンプすると、彼女はそのままギュッと抱きかかえ、すぐさま園児が彼女の頬にキスをするのが園内の微笑ましい日常風景だったそうです。

子どもたちはみんなテイラーさんが大好きでした。英語教育を通じ、多くの人と交わり続けたテイラーさんは、いつの間にか石巻を愛してやまないアメリカ人の一人として、地元でもひときわ人望の厚い存在になっていました。

そして、2011年3月11日、東日本大震災発生。

地震発生当時、テイラーさんは、おびえる生徒たちを校庭まで避難させ「大丈夫だよ」と声をかけながら励まし続けました。アメリカ、特にテイラーさんの出身地の米国東部のバージニア州では、ほとんど地震はありません。たぶん、日本の子どもたちより、テイラーさんの方がよっぽど地震に慣れてないだろうし、ずっと怖かったはずですが、テイラーさんは、保護者が迎えに来るまで子どもたちの傍を離れませんでした。

彼女は、まさに命がけで、子どもたちを守ろうとしたのです。

多くの子ども達が、実際に、「テイラーさんに助けられた」「もしテイラーさんがいなかったら自分は助からなかったかもしれない」と語っています。

しかし、自分が避難するよりも子ども達の安全を優先したテイラーさんは、無事に子ども達を保護者に引き渡してようやく自宅に帰る途中、津波に襲われ、帰らぬ人となってしまいました。

彼女は、公式に確認されたあの震災のアメリカ人初の犠牲者です。

まだ、24歳でした・・・。
〔ご参考〕
NYの東日本大震災追悼式典、第4回「TOGETHER FOR 3.11」3月8日(日)午後4時から開催

東日本大震災時、命がけで子ども達を救ったテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さんのお話

 

『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』 Vol.130より一部抜粋

【Vol.130の目次】
1. ニューヨーク最新トレンドや見所の特集
~第130回:アーモリー・ショー所感:みんな日本を待っている?~

2. 多様性のもたらすもの
~アメリカの自由について~

3. ブログ作りの舞台裏
~東日本大震災から4年~

4. Q&Aコーナー

 

『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』

著者/りばてぃ
ニューヨークの大学卒業後、現地で就職、独立。マーケティング会社ファウンダー。ニューヨーク在住。読んでハッピーになれるポジティブな情報や、その他ブログで書けないとっておきの情報満載のメルマガは読み応え抜群。
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