世界中を震撼させた「パリ襲撃テロ事件」。現在もその爪痕は街中に残り、フランス国民の心に暗い影を落としています。そんな現在のフランスの様子をパリ在住の日本人MAOさんが、無料メルマガ『出たっきり邦人【欧州編】』の中で、詳細に語って下さいました。オランド大統領率いるフランス政府の動きは? 庶民の生活は? 大きな変化を遂げようとしているフランスの今を伝えます。
移民への道 ~11月以降のパリは~
まさか、年に2回も世界中の注目を集めるとはね。
もう、さんざん報道されましたし、世界中のジャーナリストが、学者さんが、文化人が分析し、批判し、あらゆる論がメディアに流れましたから、今更なんですけど、庶民の目、みたいなのを少し書いておきますね。もちろん、11月13日金曜日、パリ中心部バタクラン劇場と、北郊外、サンドニ競技場における襲撃テロ事件のことです。
私の上司は、バタクラン劇場から徒歩5分の場所に住んでいるので、騒動の音をライブで聞きました。その後1週間ほど最寄のメトロの駅が閉鎖され、道路も封鎖され、警察や機動隊の間をすりぬけるように歩く毎日を過ごしました。日本語学校の生徒の中には、彼氏とご飯を食べていたら親からメールが来て、危ないから今日は帰ってくるなと、強制外泊させられたという子や、医者で、バタクランの近くの病院に勤務していて、その日は夜勤ではなかったけれど夜10時に緊急出勤要請がきたので、あわててテレビをつけて、初めて事件を知り、それ以来働きづめだった、という人もいました。
現場から遠いところに住む私が事件を知ったのはツイッターでした。テレビをつけると、よく知っているボスの家の周辺が大変なことになっているのですぐにメールを送って無事を確認しました。シャルリー・エブドのときとは違い、無差別殺人でしたから、あの辺りでアルバイトの若い子達がうろうろしていなかっただろうか、まさか、まきこまれたりしてはいないだろうかと、本気で心配しましたよ。幸い、身近な人に被害者はいませんでしたが。
金曜日の夜に事件は起こり、まもなく非常事態宣言が発令されました。パリ市内の商店、レストラン、美術館など観光場所は閉鎖、メトロは現地を通過する5、11、13番線は運休。現地に近い駅は閉鎖。必要以外の外出は控えるように(禁止ではない)とのお達しが出ました(月曜日に解除されました)。1990年以来フランスに住んでいますが、ここまで緊迫感のある発令を聞いたのは初めてでしたよ。
わたしは、土曜日は働いていないので、パリから30km離れた郊外の家でのんびりして、いやいや、日本の両親やら友人やらがメールだの電話だのを寄越しましたので、対応に追われていたんですけれど、日本語学校は平常通り開けたらしくて、仲良くしている事務局の女の子が、詳細に報告してくれたところによると、朝、彼女は当然休校にするだろうと思いながら、ディレクター宅に電話を入れると、「平常通り開けます、ただし、あなたが外出したくないなら、休んでも結構です」と言われたのだそうです。