今年4月には、オバマ大統領とカストロ国家評議会議長との歴史的会談が実現するなど、にわかに改善しつつあるアメリカとキューバの外交関係。ジャーナリストの柴山哲也さんは、キューバ危機の際に大統領を務めていたジョン・F・ケネディと、キューバの地を愛した世界的文豪・ヘミングウェイとの、これまであまり知られてなかった関係について指摘してます。
なぜ今、キューバなのか――日本人が知らなかったキューバ
米国とキューバの国交回復が米国の大ニュースになっています。オバマ氏が大統領任期の最後の仕事として取り組んでいるので、日本でも知られることになりました。キューバと米国の国交断絶から半世紀、なぜオバマ大統領はあえてこの難題に挑んだのか。
TVの街録を見ていると、若者にアナウンサーがキューバの話を聞いても、チンプンカンプンみたいで、多くはキューバといえば野球くらいの知識しかないようです。もちろん、行ったことのある人はほとんどいないでしょう。日本からの直行便はなく、メキシコを経由して行くことになります。
年配の日本人に一番知られたニュースはキューバ危機でした。1960年代初頭の国際的大事件です。今の駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディさんの父親のケネディ大統領の時代です。
アメリカの敵国・ソ連が、キューバに核弾頭装着可能なミサイル基地を作る計画が暴露され、アメリカを震撼させました。これによって米国の2/3のエリアが、ソ連の核ミサイルに狙われる可能性が出て来たのです。ケネディ政権は反撃に出てキューバ封鎖の措置を取ります。連日、国家安全保障会議が開かれ、大統領以下の閣僚たちが対策を練りましたが、あわや世界核戦争寸前と心配された事態でした。
この間の熱い『13日間』のドキュメントを、ケネディの弟のロバート・ケネディ司法長官が克明な記録として残しています。
私はボストンのケネディ記念館まで出かけて、キューバ危機のドキュメントを探しました。当時の閣議の記録も有りましたが、国家安全保障会議の座長を務めた大統領は、閣僚たちの意見を聴きながら、「あー」とか「うー」とかのうめき声を発していたといいなす。そしてボソッ、とつぶやいたといいます。「世界が炎上する可能性は1/3から1/2の間にある」。このリアリティあふれる記録を読んだ私も思わず声を発しました。
しかし、ミサイルを運んでくるソ連の輸送船はキューバの近郊まで到達して、ぴたりと停船しました。ソ連もアメリカからの反撃が怖かったのです。ケネディ政権の力量はソ連を圧倒し、危機は回避されました。
昔、米西戦争に勝った米国は、スペイン領だったキューバを自国の植民地にしたため、怒ったカストロ、ゲバラの革命が起こり、キューバは社会主義国となり、ソ連の衛星国になったのです。
この間のキューバの歴史は拙著『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(集英社文庫電子版)で詳述しました。この本は別件で米国取材中に、ノーベル賞を授賞した文豪、アーネスト・ヘミングウェイがFBIの監視下にあった事実を知り、FBIが公開した関連ファイル等を調べ、ケネディ記念館にあった「ヘミングウェイ館」の資料を発掘して書いたノンフィクションです。
なぜケネディ記念館にヘミングウェイの館があるのか、私は興味津々で調べました。『キリマンジャロの雪』『武器よさらば』『誰が為に鐘はなる』『老人と海』の作家。アフリカ、キューバから2つの世界大戦を渡り歩いた作家とケネディの接点はどこにあったのか。