アメリカで成功した寿司職人「マサ」とは?

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以前、MAG2NEWSでアメリカでは独自路線でユニークな寿司が人気という記事を掲載しましたが、アメリカ・世界のビジネスニュースを毎日配信するメルマガ『USBIZNEWS』は、現地で活躍する日本人の寿司職人を紹介しています。海外でも注目されている寿司職人って、いったいどんな人たちなんでしょうか? 

米国で最も知られた寿司職人。大切なのは日本の技術と味

以前、FOXニュースで取り上げられた、ある日本人シェフについて紹介します。

アメリカでは、和食の料理人として頻繁にテレビに出てくる代表シェフは3名ほど。

1人はアメリカ版「料理の鉄人」に出ている盛本さん、ノブ松久さん、そして高山雅さんです。

この高山さんが経営するニューヨークのレストラン「Kappo Masa」は、アメリカで一番高いレストランの1つに選ばれているほどの高級レストランです。

その高山さんとはどんな人物なのでしょうか。

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【アメリカにて、寿司で成功したマサ】

寿司は現在、アメリカでは食料品店でも売られているほど一般的になりつつあります

しかし30年前、アメリカ人のほとんどがこの日本の有名食のことをほぼ聞いたことがありませんでした。

西海岸で高山雅というシェフが“カリフォルニア・ロール”と“スパイシー・ツナ”以上の物を持ってくるまでは。

大勢のファンからは通称マサ」の名で知られている高山雅さん。

今はニューヨークで彼の名前が付けられた有名な寿司レストランを経営しています。

マサの料理はただの料理ではありません。

客はマスターシェフによって芸術的に彩られた価値の高い料理を堪能できます。

お値段も一流で、カップルだと$1,500約18万円)を軽く使ってしまいます。

本人は、誠実に寿司の道を貫いたことに成功のカギがあったと話しています。

彼のシーフードへの愛は家族が営む魚屋で働いていた少年時代から始まりました。

子供の頃から毎日見て「刺身と寿司」を作り、食材への愛着心が始まったと彼は言っています。

しかし、日本の伝統では寿司職人の肩書を得るまでには、数十年にわたる見習いをする必要があり、マサはその伝統の道を歩みました。

ある東京の高級レストランの見習いとして入り、トイレの床掃除と皿洗いなどからスタート

彼は「お金もなく、給料も貰えない。ただ生活するのに最低限の生活費だけ」だった時を思い出すといいます。

そしてお客の前に立つことが許されるまでに5年間もかかったそうです。

しかし彼は、一度決めたらあとには戻れないことを知っていました。

寿司カウンターで働くことは「ブロードウェイのステージにいるようだ」と言います。

その後、マサは1980年にL.A.に戻り、7年後に「Ginza Sushi-ko」をオープン。

このレストランはのちに誰もが予約したがるような人気店となりました。

L.A.だけではなく、全米の寿司人気に一役買ったのです

彼はその後、ニューヨークへ渡り、店をオープン。2008年にはアメリカの日本食としては初めてミシュランの3つ星を獲得しました。

今日、彼はL.A.からドバイまで世界各国で“皿のデザイン”から“レストランのオープン”までを手掛けています。

「これは私のパッションとエネルギー」と話すマサ。

「私は同じところにいることはありません。いつも新しいことをやりたいと思っています。でも日本の技術と味は変わらずに生かしています」。

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image by: ezEIGO

右が高山雅さん。画商のLarry Gagosianさんと。

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