さよならイギリス。EU脱退は「衆愚政治」のなれの果て

 

国民投票という制度の危うさ

さて、このような国論を二分するようなテーマで国民投票を行うことが適切なのかどうかということも、この際、原理的に考えてみる必要がある。

成田憲彦=駿河台大学教授は26日付読売で、「国民投票という制度は主権者である国民の意思を直接確認するという意味で、絶対的な正統性を持つように見えるが、それが本当に優れたシステムかどうか検討を要する」と指摘している。

このような場合、何よりも重要なのは「主権者1人1人に、十分に的確な判断ができるだけの情報が与えられた」上での「熟議」だが、国民投票は結局プロパガンダの応酬となり、熟議民主主義は成立しないのではないか。それよりも代議制を鍛え直す方が先だというのが成田の主張で、なぜなら「もし国民投票で誤った選択がなされた場合、誰が責任を取るのか。この点で行き詰まる。代議制なら、代表者や党派に『選挙を通じて』責任を取らせることで、方向転換が可能になる」からである。

日本には、憲法改正の国民投票は別として、一般的な政策テーマで国民投票を行う制度はない。戦後のドイツも国民投票制を導入していないが、これは驚くべきことに、「世界史の中でナチスほど民意をよく問うた政権はなかった。重大な問題はしばしば国民投票にかけられ、そのたびに政権の意向を支える結論がもたらされた。しかも圧倒的な票差だった。国際連盟脱退、ヒトラーのための『総統』職の新設、オーストリア併合。いずれも直接民主主義の手法にのっとり、人々の幅広い支持を得た」(6月25日付日経「春秋」欄)という歴史の教訓ゆえであるという。

なるほど国民投票は、熟議よりもプロパガンダと相性がいいのかもしれない。考えてみると安倍は「選挙好き」で、12年末の総選挙で政権を奪回して、13年に参院選、14年末にやらなくてもいい総選挙、15年には選挙はなかったが、16年にはダブル選挙を狙ってジタバタし、結果的には諦めたものの年内もしくは来年初めの総選挙は諦めていない。ほぼ1年に1回、「民意」を確かめて自分への支持を取り付け直す選挙をやっていることになるわけで、これはナチス政治の騒々しさと共通する。

その国民投票の意外な弱点をカバーするには、過半数による多数決という当たり前のように思っている原理を考え直すべきかもしれない。

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