小池は防衛大臣就任から約1か月後、就任5年目の守屋次官を退任させ、後任に西川官房長を充てる人事案を安倍首相に示し、了解を得た。2007年8月6日のことだ。
誰がリークしたのか、マスコミにこの人事案が漏れたため、小池は守屋の携帯に電話した。
守屋次官本人に連絡する必要があると考え、私の携帯に登録された次官の二つの携帯番号に次々と電話した。待てど暮らせど、返事はなかった。
(小池の著書『女子の本懐』より)
翌日、守屋次官は大臣室に小池大臣を訪ねた。大臣は「昨晩、携帯に電話したけど通じなかった。もう決まったこと」と繰り返した。
これについて、守屋はその著書『普天間交渉記録』のなかで、次のように証言している。
小池大臣の私に対する携帯電話はいつも、二、三回の呼び出し音で切れた。着信の履歴を見て、大臣からと分かると、私はすぐに折り返し電話をし、大臣の話を伺うというのが常だった。その晩、私はすでに床に就いていて、朝になって着信記録は確認していたが、それは午前零時過ぎのもので私はそれに気がつかなかった。私の携帯電話には「一秒」の履歴が残っていた。
「一秒の履歴」。重要なことを知らせる意思が強いなら、たった一秒のコールをしただけで電話を切ることなどありえない。もし、守屋と電話が通じたら、猛烈な抵抗にあうに決まっている。
それを避けるため、電話したアリバイをつくる目的で、ワン切りしたと考えるのが普通だろう。マスコミへの人事案リークも既成事実をつくるため小池自身がしたのではないだろうか。
今回の都知事選、内田茂の傀儡だった舛添要一の後釜として自民党都連が増田寛也を担ぐことは既定の路線だった。
小池が都連の推薦で立候補できる余地はほとんどゼロだ。根回ししたら潰される。いやむしろ、根回しという面倒なことを彼女はしたくない。
ならば、まずマスコミに出馬宣言を打ち上げよう。都連が怒っても仕方がない。イチかバチか。都連の「ブラックボックス」を攻撃して改革派イメージをアピールすればよい。
都連に推薦願いを出し、すぐに取り下げたのは、ほんとうに審査されてはマズイからだろう。まともに守屋に向き合いたくなかった「一秒の履歴」と同じだ。